2013/02/24

愉悦の果ての自由 金原まさ子句集『カルナヴァル』

ええっとね、この句。

赤白の蛇来て黄のカード出るわ出るわ  金原まさ子

「黄のカード」とくれば、サッカーでしょう。では、「赤白の蛇」とは? マンチェスター・ユナイテッド対レアル・マドリー(アウェイ・ユニフォーム)、あるいはイングランド代表は白シャツに赤ショーツ。いいチームは、オフ・ザ・ボールの動きを含め、まさに「蛇」のようです。

地球上の事象を、あたかも宇宙人が眺めたように描くとき、それはまさしく素晴らしい芸術となります(カギ括弧付きの「芸術」でもゲイジュツでもなく)。

繰り返される実例ではありますが、大ガラス La mariée mise à nu par ses célibataires, même が、宇宙人が宇宙から眺めた地球上の恋愛であるのと同様。


金原まさ子第4句集『カルナヴァル』は、前句集『遊戯の家』よりもさらに題材の広がりと深化が進み、いかなる俳句的因習からも、徹底的に自由。

重要なのは、その自由が、俳句的枠組の外部にある豊穣さへとしっかりと手を伸ばし、掴み、その恩寵を受けた結果であること。言い換えれば、俳句よりもさらに広い世界を〔読み〕、それらに〔快楽〕してきた時間(正味一世紀なのがこわいわ!)の堆積のてっぺんにある自由であること、そこが重要。

一句一句のコクたるや、もう、これはただごとではなく、あるいは、例えば、《鶴帰るとき置いてゆきハルシオン》が文言《うつせみの世は夢にすぎず 死とあらがいうるものはなし(ヴィヨン「遺言詩集」)》と寄り添いあうときの感興。

「イケナイこと」の蠱惑に満ち満ちた一冊。

すごいです。

俳句業界は、金原まさ子さんにレッドカードを出すべきです(そんなことをしても、金原さんはテヘペロでしょうけれど)


2013/02/23

観くらべ 第25番 色恋沙汰

予約したDVDをTSUTAYAが2本ずつ郵送で送ってくれるサービス。その2本に勝ち負けを付けるという、ヘンテコリンなシリーズの第25弾。

恋の罪 (園子温監督/2011年)

40男のバージンロード (ジョン・ハンバーグ監督/2009年)


「恋の罪」は、おっぱいのでかい人妻が、あちらの方面で落ちていく話。殺人事件から始まるミステリー仕立て。円山町の東電OL殺人事件が元ネタ(といっても関連は薄い)。まあ、どろどろです。

園子温監督は、私、初期のものはぜんぜんダメで、近年のものが相性がよくて、おもしろく観られる。なので、ちょっと期待して観た(劇場では見逃し)。まずまずおもしろい。けれども、「なに、そのブンガク」なところが退屈かつ煩い。出演者は全体に、妙な力の入り方をしていて、それが楽しめるような楽しめないような。微妙なところのある映画。

「40男~」は、こんなマトモに良い映画に、なんでこんなひどい邦題を付けるのだ?な映画。原題は「I Love You, Man」で、男の友情、それも結婚がらみ。軽くて、いい感じの映画。

ええ嫁はんやないの~! という映画でもある。

男の付き合いを理解する嫁はんが良い嫁はん、という男の勝手まるだしです。

嫁はんを演じるのは「ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して The Big Year 」(これもひどい邦題)にも出ていたラシダ・ジョーンズという女優(クインシー・ジョーンズの娘!)。この人、いいなあ。

というわけで、 40男のバージンロードの勝ち。



2013/02/22

観くらべ 第24番 「世界」の作用

予約したDVDをTSUTAYAが2本ずつ郵送で送ってくれるサービス。その2本に勝ち負けを付けるという、ヘンテコリンなシリーズの第24弾。

ゴーストライター (ロマン・ポランスキー監督/2010年)

SRサイタマノラッパー (入江悠監督/2009年)

「ゴーストライター」は元英国首相の自伝ゴーストライターが、隠された事実を知り、陰謀に巻き込まれていくという話。映画に適度の格調とサービス精神があるし、主演のユアン・マクレガーの魅力、堅調。

「サイタマノ~」は埼玉県のラッパー(デビュー志望?)の青年たちの話。

どちらも映画タイトルがそのまま主人公の職業(?)を示している点が共通。前者が不本意の仕事ながら食える、後者が本心で熱望しながら食えない、という点が対照的。

対照がもうひとつある。前者が(国際)政治情勢にきわめて近いところの出来事であるのに対し、後者は「世界」の「情勢」を歌う(ラップする)がそこから徹底的に遠い(舞台となる埼玉県のその町にはレコード店さえない)。

結論を先に言うと、「SRサイタマノラッパー」の勝ち。

「ゴーストライター」は結局のところ、陰謀論にもとづく話。陰謀論というのは、リアルにせよ映画のお話にせよ、いまさらどこがおもしろいのかわからない。どんなに精緻に、またいきいきと描かれようとも、所詮は陰謀論。

CIAの、あるいは秘密結社の、あるいは悪の枢軸の、あるいは某カルトの、でもなんでもいけど陰謀で世界が(一部でも)動いているという筋書きは、もう、どうでもいいかな、と。

「サイタマ~」は評判のいい映画。情けない子たちの一途さを描くというのは、青春映画の王道ですよね。見てみたら、予想したよりケレンや小ネタではなく、コテコテをやっていて、気持ちがいい。なつかしいくらいのコテコテっぷりです。

出演者好演、紅一点的なヒロインも好演。

ラップ音楽はあまり興味がないのですが、テーマ曲(ラストできちんとフルで流れる)、なかなかよかった。

世界と私たちがうまく行かないのは、陰謀なんかではないのですよ。もともと、世界との軋みのなかで暮らしていくしかないのです。


で、この流れで、続篇の「サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」(2010年)、「SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」(2012年)も借りて観る。どちらも、がっかりはしない。2は女の子、3はバイオレンスっぽくと、1とは別の柱や味つけを持ってくるところ、しっかりとしたエンターテイメントです。



2013/02/21

セバスチャン

1 金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』のカヴァーデザインにも用いられた聖セバスチャン(≫画像)。

   雲の峯まっしろ食われセバスチャン   金原まさ子

2 『ブレードランナー』(リドリー・スコット監督)に出てくるエンジニア(≫画像) 。

3 スティーヴ・ハーリー(コックニー・レベル)の曲。


2013/02/20

職場という自然 小川軽舟第三句集『呼鈴』

ハンコを捺すときは真っ直ぐではなくちょっと左に傾けて11時くらいの角度で、というのは金融機関一般に共通するマナーのようで、それがお辞儀しているように見えるから(右に傾くと、ふんぞり返って見える)というのは最近知ったが、ともかく、その道のプロは、預けたハンコを所定の場所にきれいに捺し、小さなティッシュできれいに拭いて戻してくれる。

  認印拭かれて戻る春隣  小川軽舟

作者が銀行にお勤めであることを知っているからか、この句を、例えば銀行の窓口での出来事だと読んだが、いや待て、「認印」とある。認印は銀行印とは違うのか同じなのか、よくわからない。

認印をよく使うのは宅配便の受け取りのときとか? それだと認印を預けることはない。あるいはもっとほかの用件。いや、そうではなく掲句は、自分で拭いて戻したとも読める。

答えは出ないが、ハンコが使われること、そこにていねいな所作が加わること。季節は春隣というのだから、新しい生活にスタートを連想させる。すがすがしく心優しい句。

 ●

掲句を収録する句集『呼鈴』には、作者の仕事場(銀行)につながる句もいくつか。

  人死んで通帳の黴はたかるる  小川軽舟

  扇風機目の前で札かぞへだす  同

  金貸して給料もらふ暑さかな  同

  地は霜に世は欲望にかがやける  同

仕事場も、作者の環境のひとつなのだから、自然。

 ●

ところで、この前に出た第二句集『手帖』は私にとってマイ・フェイバリット。好きでたまらん句集というわけですが、この『呼鈴』はそこまでの愛し方ができないでいます。《死ぬときは箸置くやうに草の花》《原子炉の無明の時間雪が降る》といった、りっぱげにカッコ良さげな句が私自身の好みの外にあり、それらが、この句集の主調音の一部をかたちづくっているせいかもしれません。


集中、もっとも美しいと思った句。

  夕刊を夕日に読める新樹かな  同

読み返せば、また別の句がこの場所にあがるのでしょう。


なお、集中《空気より夕日つめたき落花かな》は週刊俳句(2009年5月3日号)で触れさせていただいています。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2009/05/4_4375.html

2013/02/19

くにたち句会2月のお知らせ

梅を見に行きましょうか。恒例です。谷保天満宮。

2月24日(日) 14:00
JR谷保駅 改札を出たところに集合。

よろしければ句会の飲食もご一緒しましょう(会費アリ)

2013/02/09

Eels - That's Not Her Way



Yo La Tengo - Ohm

2013/02/08

俳句と年齢

俳句を「つくる」のに、年齢が作用するということは、あることはあるんだろうけれど、ふわっと信じられているっぽい《若い人=新しい、年寄り=古い》という図式は、俳句の場合、当たらないようで、例えば、いろいろな年齢の俳句作者が無数にいるなか、102歳の金原まさ子さんのつくる俳句が一等新鮮なんじゃあないの?という事態を考えるとね。それに、若い人がつくる句がいつも新しい、新鮮、なんてことは、とうてい言えないし。

一方、「読む」「選ぶ」となると、どうでしょう。年若い選者という企画・ムーヴメントはアリかもしれないです。

(ところでこの件で古志には誰も触れないのだろうか。 主宰定年制を採用しているということだけれど)

2013/02/07

観くらべ 第23番 軽い/重い

予約したDVDをTSUTAYAが2本ずつ郵送で送ってくれるサービス。その2本に勝ち負けを付けるという、ヘンテコリンなシリーズの第23弾。

ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して(デヴィッド・フランケル監督/2011年)

ブルーバレンタイン(デレク・シアンフランス監督/2010年)

「ビッグ・ボーイズ~」は、野鳥マニア3人の話。ジャック・ブラック、オーウェン・ウィルソン、スティーヴ・マーチンという、新旧の大好きな俳優の共演、とあって、劇場で観よう観ようと思いながら、先に観た雪我狂流さんの「ビデオでじゅうぶんだよ」のひとことで見逃した。それと、邦題のひどさで、ちょっと引いていた(原題は「The Big Year」) 。

軽い。

一年間で北米大陸で何種類の野鳥を見たか(聞くのも可)を競う、その競技名が「The Big Year」。原題のままでいいと思うが、何、これ? 「ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して」って?

「マニア」の話というのは、きほん、おもしろい。そこに「競争」という要素が加われば、もっとおもしろい。楽しめた映画です。でも、大した映画ではない(狂流さんの「ビデオでじゅうぶんだよ」と言った理由がわかる)。

「ブルーバレンタイン」は、本国ばかりでなく日本でも評判になったようだ。で、観ての感想は…

重い。

ただただ、重い。

それもリアルに重い。

重い映画はたくさんあるし、救いのない重さをもった映画もたくさんある。けれども、それらは所詮、「話」の展開として重い、「話」の内容が重いということ。「ブルー~」の重さは、「話」の重さではない。誰もが、すぐそばに抱えている重さ。

 実は、この映画、封切当時、妻と銀座で映画でも観ようかという話になり、どれを観ようかという候補の一本だった。

あのとき、観なくてよかった。

「ブルーバレンタイン」はきちんと出来ている映画です。大した映画です。でも、「ビッグ~」の勝ち。少々へなちょこな映画でも、「話」のほうがいい。映画では、きほん、「話」がいい。それって「話」だから、と言えるほうがいいような気がします。


2013/02/06

備忘録:佐藤りえ ‏@sato_rie × 上田信治 ‏@ueda_shinji

自分のための備忘録。備忘録ってのは、いつもそうなんですけどね。

togetter.com/li/450312


2013/02/05

30年後





板橋から巣鴨経由、池袋 〔2〕



で、Y字路マニアへサービス(↓)


2013/02/04

板橋から巣鴨経由、池袋

中山道を志村坂上から巣鴨へ(国道17号)、さらに池袋へ。

板橋あたりの国道の左は急勾配で下っています。道が尾根みたいな感じ?



素敵なロゴ。




2013/02/03

週俳のSST

「第130回現代俳句協会青年部勉強会 三句集合同批評会」が来る3月17日(日)に開かれるという。

対象句集は大石雄鬼「だぶだぶの服」、神野紗希「光まみれの蜂」、宮本佳世乃「鳥飛ぶ仕組み」。評者はそれぞれ鴇田智哉、榮猿丸、関悦史、つまり「SST」ということで、これは「セット売り」ということではなくて、、現俳協青年部が「セット買い」しちゃったということだろう。

というわけで、週刊俳句アーカイヴのレコメンドとして、まるごとSSTプロデュース号

第199号です。ついこのあいだのような気がしていますが、100号以上も前だったのですね。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/02/199-2011213.html


この一週間、トップを飾った「生首写真」は、こちらに収蔵↓
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/02/150159.html


またウラハイでは私が連動企画をやらしてもらいました。

用の置きもの 宮川淳+鴇田智哉

ツイートでたどるセキエツ氏の天使的日常

引用の置きもの ジャン・ボードリヤール+榮猿丸


SSTをもっと知るためのリンク集〔1〕

SSTをもっと知るためのリンク集〔2〕

SSTをもっと知るためのリンク集〔3〕週刊俳句で読むSST


ウラハイのこの一週間は自分でも楽しかったですよ。

2013/02/02

木枯さんと仁さん

私にとって、西は八田木枯、東は斉田仁。

  伊勢にコガラシ関八州にサイダジン  10key


というわけで、2月中には出るらしい斉田仁さんの句集『異熟』が楽しみ。

写真:鬼海弘雄、本文意匠:月犬、装幀:間村俊一、ということで、中身も器も素晴らしくないわけがない。

で、3月下旬あたりに出る『八田木枯全句集』も注文。「全句」集ではなく、全「句集」だそうだが、『鏡騒』以降の俳誌掲載句も収録、ということで、これは枕頭の書、というかソファーに常備です。

2013/02/01

白と黒

最近、軽く驚いたことがって、少し前の記事「コンビニのおでんておいしいの?」。この記事、神野紗希さんを、私が否定的に扱ったふうに受け取る人がいるらしいのです。

言ってしまえば、「黒い神野紗希」を「神野紗希は黒い」と読み換えた感じで、それは誤読というより私の書き方が悪いのですが、記事の真意は、「黒い部分をもっと出したほうがラクだし、おもしろいのに」ということ。言ってみれば、シンパシーなので、前述のような受け取られ方に少し驚いたわけです。


黒い部分がない人なんて、いません。

「いや、私には、ない」という人がいたら、それこそ大嘘つきの真っ黒けです。

「黒さ」は、悪徳や悪意ばかりではありません。シニシズムであったり、「傾(かぶ)き」であったり、反・権威であったり。


「黒いところ」を人に見せないような表現、あるいは暮らし方は、しばしば退屈で、ときに、はたから見て息苦しく見えます。

黒い部分を外に出さない人は、内側で、どんどん黒が煮詰まってきます。


まあ、黒ばっかりじゃあ、ナニですが、そんな人、いないだろうし。

白い自分と黒い自分、お互いになかよく共存させていくのがいいのではないかなあ、と思うですよ。