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欧米には、というか世界中に神話の昔から、「養父」モノという物語の型がある。「養父」は「foster-father」というより、生物学的遺伝的父親(genitor)に対する社会的父親(pater)。このふたつは一致することが多いが、paterの存在が別にあって、いわゆる成長物語の大きな役割を担う。
「グラン・トリノ」の主演イーストウッドはまさしくpater。「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)のイーストウッドも同様で、あの映画は素晴らしい映画だったけど、終わり方がなんとも救いがないように私には思えて、重い。その点、「グラントリノ」は、先に逝く人(pater)が先に逝くぶん、すがすがしい。「「ミリオンダラー・ベイビー」で感じた後味の悪さが、この映画ですっきりしたという意味でも、「イーストウッドさん、ありがとう!」という感じ。
やはりイーストウッド監督で「許されざる者」(1992)も、イカレたカウボーイの坊やのpaterが、イーストウッド演じる老いた無法者という図式で、過去に心の傷をもつというところも、最後に、精神面・物質面両方の遺産を残してやるというところも、「許されざる者」と「グラン・トリノ」はよく似ている。paterという切り口でいえば、「グラン・トリノ」は「許されざる者」の現代版といってもいいくらいだ(もちろん違うところはたくさんある。「許されざる者」は成長物語が前面に出てはいない)。
「グラン・トリノ」の爽快感は、アジアの息子という設定で際立った。「許されざる者」がドメスティック(米国内)に終始するのと、ここが大きく違う。
若者タオの姉スー役を演じた女優の好演が、イーストウッドの「素」の好演に勝るとも劣らず、重要な役どころが、きっちり魅力的。ええっと、重要というのは、ちょっと理屈っぽくなるけど、成熟(paterたる老イーストウッド)と未熟(若者タオ)の媒介項、西洋(元フォードの組立工イーストウッド)と東洋(モン族家族)の媒介項として、とっても大切な存在。
ああ、ほんと、いい映画。爽やか、かつ、心に滲みる映画。
星4つ。
余談だが、観ているあいだ、苦虫を噛みつぶしたような表情で何かと怒りまくっているイーストウッドが、義父と重なってしかたなかったのだが、あとで、この映画を観た義父も、前半、自分を見ているようだったというのを聞き、「本人もわかるのか」とおもしろかったのでした。
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