その話題をもう少し。
拙作に、《燕むかしへ帰るチェ・ゲバラの忌》というのがあって、これは七五五。《燕むかしへ//帰るチェ・//ゲバラの忌》の七五五も、五七五定型に含めていいと考えています。
(「チェ・ゲバラ」は5音。「・」を1音に数えないと、とてもヘンなことになる。「・」を読まずに「チェゲバラ」と4音で、実際に声に出してみると、ヘンだとわかる)。
一方、上田信治さんが挙げている、《牛久のスーパーCGほどの美少女歩み来しかも白服・関悦史》も、破調とはいえ、「五七五」の範囲。
「歩み来」という4音に、「五七五」への意思が見える。このあたりは定型的な運動神経ともいえる。
この句にまで「五七五」を広げていいのかというと、それはよいのです。金子兜太の多くの句もまた、「五七五」がたどる一つのモードだったのですから。
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なお、五八五については、私は不寛容なほうです(中八ではなく五八五)。
「中八はダメ」って教わったから、ではないです。そんなことを言う人は幸か不幸か、周りにいなかった(数年間在籍した「麦」はむしろ五八五に寛容だった気がする)。
なぜ不寛容かというと、五八五の句で、「いい韻律」と感じたことがないから。経験からする判断というだけです。
参照/備忘録:「五八五」考察
http://d.hatena.ne.jp/nande_kukai/20120219/1329678471
それと…
もし本当に「リズムが悪い」のであれば、五・七・五というごく初歩的で簡単なルールがこれほど守られないのは何故なのだろう。(兵頭全郎「中八考」)これは、意味を優先した作りになっているから、というのが大きな理由だと思っています。
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