を見つけたとき、そう思ったわけで、となると、句集にまとめる、というか、一冊の句集の中に、この「かの夏を想へ」を置いてみたくなった。
前回・第26回から2年近くが過ぎちゃったけど、これ、第27回。
自作との時間的隔たりということでいえば、じつは、このところ、ほとんど俳句をつくらない暮らしが続いていて(コロナ以降、句会がめっきり減ったせいも、あるにはある)、多くの自作について時間的な隔たりが出来上がった状態だ。いま、自作を並べて、眺め、いろいろと編集してみるのに、いいタイミングかもしれない。
余談だけど、自分のつくったものを「まるっきりつまらないというわけでもない」と思える機会は、冒頭に言ったのとは別にもうひとつある。対照的なのだけど、時間的隔たりがまったくない瞬間、つまり作った直後だ。
最初の読者、第一の読者は自分、という考えなので、俳句をつくるとき、まずは自分を喜ばせることを考える。誰だかわからない(あるいは存在しないかもしれない)第二以降の読者のことを考えないのが最良だ。でも、考えちゃうけどね。
話が大きく逸れたようでいて、それほど逸れていない。句集を編むという作業は、作り手である自分と第一の読者である自分が対面しての作業だから、読者=自分の存在が確認できないかぎり、始まらないのだ。
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