連句/連鎖

2023/04/03

■大路の春

春といえば、この句。

バスを待ち大路の春をうたがはず 石田波郷

時間も空間も心根も、すべてがおおらか。大好きな句です。

俳句を始めてまもない頃、この句を読んで、頭の中に、行ったこともない(実際に)見たこともない満州国の空と道が広がったのは、きっと、桑原甲子雄の写真集『満州昭和十五年』(1974年/晶文社)の影響です。

俳句を読んで、どんな景を思うかは、人によって(大きく、あるいはわずかに)違う。大多数の読者の想像とあまりにかけ離れていると、それは誤読ということになるのだろう。私の場合、誤読、あるいは「自分勝手な読み」と言われてもしかたがないのだが、広がってしまったものはしかたがない。今も、その、というのは読んで最初に感じた空気を、この句はまとっている。

ところで、戦前の満州に、バスは走っていたのか? そう訝しがる向きもあろうかと思いますが、ちゃんと路線バスや観光バスが走っておったのですよ。


こんな写真を見ちゃうと(写真自体は夏っぽくはあるものの)、ますます掲句を満州に置きたくなります。そうなると、やはり、「大路」は「おおじ」ではなく、「たいろ」と読みたくなるんですよね。

なお、自分の読みを正当化したり押し付けたりしたいのではありません。なんか、人と違う感じに読んじゃったんですよね、という話。

ラヴ&ピース!

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