ええっとね、この句。
赤白の蛇来て黄のカード出るわ出るわ 金原まさ子
「黄のカード」とくれば、サッカーでしょう。では、「赤白の蛇」とは? マンチェスター・ユナイテッド対レアル・マドリー(アウェイ・ユニフォーム)、あるいはイングランド代表は白シャツに赤ショーツ。いいチームは、オフ・ザ・ボールの動きを含め、まさに「蛇」のようです。
地球上の事象を、あたかも宇宙人が眺めたように描くとき、それはまさしく素晴らしい芸術となります(カギ括弧付きの「芸術」でもゲイジュツでもなく)。
繰り返される実例ではありますが、大ガラス La mariée mise à nu par ses célibataires, même が、宇宙人が宇宙から眺めた地球上の恋愛であるのと同様。
金原まさ子第4句集『カルナヴァル』は、前句集『遊戯の家』よりもさらに題材の広がりと深化が進み、いかなる俳句的因習からも、徹底的に自由。
重要なのは、その自由が、俳句的枠組の外部にある豊穣さへとしっかりと手を伸ばし、掴み、その恩寵を受けた結果であること。言い換えれば、俳句よりもさらに広い世界を〔読み〕、それらに〔快楽〕してきた時間(正味一世紀なのがこわいわ!)の堆積のてっぺんにある自由であること、そこが重要。
一句一句のコクたるや、もう、これはただごとではなく、あるいは、例えば、《鶴帰るとき置いてゆきハルシオン》が文言《うつせみの世は夢にすぎず 死とあらがいうるものはなし(ヴィヨン「遺言詩集」)》と寄り添いあうときの感興。
「イケナイこと」の蠱惑に満ち満ちた一冊。
すごいです。
俳句業界は、金原まさ子さんにレッドカードを出すべきです(そんなことをしても、金原さんはテヘペロでしょうけれど)
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