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えっ? それ、どんなだ? 食べたい。焼くのは知ってるけど、鍋? と、北海道を知らない私はひとり盛り上がり、調べてみると、つまり、焼くみたいですね。知ってるやつだ。いずれにせよ食べたい。以前、「松尾」という有名ブランドを取り寄せて食べたことがある、たしか。
と、食い意地の張った話になりましたが、話題の主題は、季語としてのジンギスカン鍋をどの季節に入れるかという話でした。
これには、北海道民でもない私がとやかく言うことはないのですが、ちょっと一般化して、ひとつ思うのは、「季語にする必要がないのでは?」ということ。ぞんざいに言えば、なんでもかでも季語にすることはない。と思う。
季語認定される語が時とともに増えていくのは、時代の変遷というよりも、「新しい事物(従来的には季語ではない)を俳句に詠み込みたい」という欲求と「有季であってほしい」という欲求を両立させようという、カジュアルな事情なんじゃないでしょうか。
旗立てずとも巨艦のごとしオムライス
オムライスは春しかありえないほど春っぽい(私にとって。、
あんぱんは餡とパン餡のパンどっち
あんぱんも同じく、きわめて春っぽい(私にとって)。
だからと言って、「オムラスを春の季語に!」運動、「あんぱんを春の季語に!」運動をやる気は、さらさらない。
無季でいいでしょ、べつに。
なにがなんでも有季、という魂胆がぜんぜん理解できない。なんで無季をそんなに嫌がるのか、私にはわからない。同性婚を認めない、夫婦別姓を認めないのがわからないくらい、わからない。
無季でいいよ。
このひとことで、いろんなややこしいことがすっきりする。
そう思ってるのは私だけかもしれないけれど。
ラヴ&ピース!
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