2013/12/29

■インターネット関連で私的2013年回顧

1 「週刊俳句」1号も欠かさず1年間。

当番の一人としてやはりうれしい。


2 ツイッターには過去も未来もない。ただ現在があるのみ。

つまりモニター画面に見えているツイートがすべて。とはいえ、少しは遡ったりするのですが、それをやるとキリがない。たまたま目にした情報の欠片を、そのときの気分で吸収したりしなかったり、反応したりしなかったり。

ツイッターは一覧性や横の広がりという点が弱い。情報が立体化しない。「タイムライン」とはよく言ったものです。単線的に流れていく。しかも雑多なままで。だから 「たまたまのそのとき」と付き合うしかない。情報をぜんぶ取り込もうとするのはムダということがよくわかる。そういうツールです、ツイッターは。

こうした「ただの現在」性を補完するものとして「togetter」という機能もあります(いわゆるトゥギャり)。これはかなり便利なものです。話題とは無関係なツイートが目に飛び込んでくることもなく効率的に、過去の関連ツイートを流れとしてまとめて読める。

私も以前には、たまにトゥギャッたりしていました。けれどもこのところまったくやらなくなった。理由の一つは、ツイッター界隈でも「引用」「転載」に対して神経質な空気が漂い始めたこと。「togetter」に「引用」「転載」されることに抵抗感のある人がいるかもしれない。そう思ったとたん、わざわざトゥギャる気はなくなりました。私の他にもそういう人はいそうです。俳句関連の話題で、「トゥギャリ」をとんと見かけなくなりました。こうして、ツイッターはどんどん単線的に、雑多に、その場かぎりになっていくようです。


3 フェイスブックは、文字どおり「顔」。

たまに、こっちを見ている顔があって、そういうのは、だいたい、怖い。

べつに怖い顔をしているわけではないです。ある一定の意味で、怖い。ページをすぐに閉じる/切り替えることになります。

まだ始めたばかりで、しくみがよくわかっていないのだと思いますが、何かを読むという意味では、フェイスブックほど不向きなツールもないんじゃないでしょうか。つまり、読みたいもの(記事とまで行かない小さな情報も含め)にアクセスしにくい。というか、アクセスという手順自体、あまりない。

不思議なツールです。

きっと文字ではなく、写真が中心、スマホや携帯電話で写真を撮って、フェースブックにアップする、というのが主要なマナーなのだと思います。。 写メをやらない私などは、あまり使い道がないのかもしれません(もっぱらリンクをアップしています。URLコピペ。数秒で済みますし)。



というわけで、インターネットは日進月歩(棒読み)、いろいろと新しい局面が現れますが、最初に戻って「週刊俳句」。

どこかで、週俳はいつまで経ってもオールドスクールで行くのでは?と発言しましたが、実際、スタートしたスタイルでずっと変わらず、なのではないかと思います。

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