俳句的日常
l'écume des jours
by tenki saibara
〔come rain or come shine〕
2024/09/09
■紫蘇・その後
雑草のように逞しく旺盛に生い茂った紫蘇から、紫蘇シロップや紫蘇ジェノベーゼをつくった話は『週刊俳句』に書いた。
≫https://weekly-haiku.blogspot.com/2024/08/905.html
その後、紫蘇ジェノベーゼを使ったスパゲティを美味しくいただいたのですが、同じメニューの二度目、食べていると、喉やら胸のあたりがかすかに火照る。なにやら、紫蘇の精霊(?)のようなものがさかんに暴れている感じなんですよ。「それ、紫蘇アレルギーなんじゃ?」とyuki氏。
紫蘇を刈り取り、葉を毟り、と、大量の紫蘇に触れすぎたせいでしょうか。
自分でも笑ってしまうのですが、もしアレルギーだとしたら、ひじょうに残念なことです。
2024/09/04
■「音数歳時記」活用句会 in 大津のご案内
『音数で引く俳句歳時記・秋』(岸本尚毅監修・西原天気編/
●会場:義仲寺無名庵
https://otsu.or.jp/thingstodo/
アクセス:JR膳所駅または京阪電車・膳所駅から徒歩7分
会場/ 境内は9:00~入場・拝観可。受付で「句会参加」とお伝えください。
●席題による作句・投句。以降の選句・合評が通常の句会と同様。
●上記書籍を持参されない方には、句会場にて、定価の約7割(
●句会費:500円 拝観料を含む
●定員20名。
●俳句初心者大歓迎/句会後の飲食からのご参加もオーケーです。
●お申し込み・問い合わせは、久留島元さん(cqa21226@
2024/08/27
■本を物色する
本をインターネットで買うのに、かなり慣れてしまった。それは検索機能によるところが大きい。目当ての本がわかっているとき、あるいは読みたい作家が決まっているとき、いわゆるリアルの書店とは、手軽さ・便利さの点で、圧倒的な差があるので。
ウィリアム・フォークナー『野生の棕櫚』。こんな大作家なのに、恥ずかしながら、1冊も読んだ記憶がない。
それでも、本屋をぶらぶらする愉しみがなくなったり減じるわけではありません。とりわけ、何、と決めていないとき。
積ん読は極力やめるという方針を立ててからもうずいぶん長く、つまり、いまから、あすから読む本しか買わないという方針のもと、ある日、出先で読む本が尽きた。出先だから文庫本。誰の本とも何の本とも決めずに、地元の本屋さんをぶらぶらする。
なんとなく、知らない作家、読んだことのない著者のものという気分。平台を眺め、書架を端から見ていく。候補はたくさん目に入る。なにしろ、読んだことのない作家だらけだ。
1冊に向かって、3冊に絞った。
台湾の探偵もの。へぇ、台湾の推理小説! 自分としては意表をつくチョイスになる。
室井光広『おどるでく』。民俗ものっぽい。
どれにしようか迷っているあいだ、カウンターのおねえさんと客の老人の世間話が耳に入ってくる。都会の大型書店では味わえませんね、これは。
で、結局、町田康の帯文が決め手になって、『おどるでく』を手に取って、さっきのおねえさんのカウンターへ(世間話はナシ)。「カバーを、お願いします」
話はそれるけど、このカバーというのが、ネット書店にはない大きな魅力ですね。カバー、必須。ネットで買ったものには、自分で掛けてます(みなさん、そうなはず)。で、びっくりしたのは、どこかの駅ビルに入っている書店は、カバーが有料だった。買い物袋の有料化の流れでしょうか。これにはたまげました。
というわけで、慣れ親しんだ焦げ茶色のカバーのかかった『おどるでく』という短編集を読み始めたのですが、当たり! です。なんだか奇妙なオフビート感。たいせつに味わっております。
写真は記事と無関係です
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