2026/06/25

■2026年プラン・中間チェック 野菜はOK

今年のはじめに立てたプラン(願望)。

その中間チェックです。


白茄子も成った。茄子は6本植えて、ぜんぶ違う品種。ミニトマトは例年のアイコと、今年はオレンジがかったやつ(これは甘い・うまい)。ここに見えているのはピーマンだけだが、そのほかシシトウ、トウガラシ。

〔1 畑に植える夏野菜の種類を増やす〕は実現したと言っていい。もしも、台風で全滅(はしないけど)しても。

梅雨が明けたら、蛸の握りだな。

2026/06/22

■4音代入のための上野葉月的構造の試み

試みとか書いとけば何やってもいいわけじゃないんですけどね。




みたらし 10句

 ※まごのて、かさぶた、他、代用可

噴水の私立みたらし女学院  原句ママ

みたらしであれば常に西日である

妹はみたらし愛のあるごとし

みたらしは受話器のやうに置かれをり

みたらしに少し似てゐる軽水炉

紅葉かつ散るみたらしの純潔種

みたらしの解釈がコペンハーゲン

みたらしな植物学者ド・フリース

みたらし呼吸に定評ある阪西

みたらし忌をとこの乳首ゆるされて

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原句:上野葉月『enjoy』(2025)より

噴水の私立みたらし女学院

踏切であれば常に西日である

妹は滝壺愛のあるごとし

月影は受話器のやうに置かれをり

秋茄子に少し似てゐる軽水炉

紅葉かつ散る柴犬の純潔種

霜月の解釈がコペンハーゲン

有名な植物学者ド・フリース

腹式呼吸に定評ある阪西

2026/06/19

■榊陽子的わかめ構造主義

榊陽子 ふるえるわかめ 10句
週刊俳句・第442号・2015年10月11日

10年以上前の作品をきょう取り上げるのは、週刊俳句がもうすぐ第1000号を迎えることと関連しないこともない。10年のあいだ、わかめはふるえながらふえつづけた。かどうかはわからないが、ともかく、この10句。

作品タイトルの直後にある、

(なな子、社長ほか代用可)

が決定的に重要。

つまり、「わかめ」でなくても、いっこうにかまわないと宣言している。これはたいへんなことですよ(©岡田彰布)」。
「代用可」ってことは、この川柳連作はふえて/ふるえているのは「わかめ」だけでなくて、〈川柳〉もふえているということになります。
柳本々々が当時指摘するように、ふえるのはわかめだけではない〔*〕。わかめどころではない。10句単位で、たちまちにして、川柳が、句が無限に殖えてゆく。ふるえるなな子10句、ふるえる社長10句……。

読者は、読者からとつぜん多作の作者に姿を変え、別の3音を探す旅に出る。


「わかめ」に意味はない。どんな3音でもいいのだから。

天才か。

どんな3音でもいいけれど、この無限川柳製作機械のプロトタイプとして「わかめ」を選んだのは最適に近い。レディメイド的に、安っぽく、俗っぽく「ふえる」もののとして「わかめ」を選んだ目の確かさ。

天才か。


句がどのような部品で出来上がっているかは、たいていの場合の重要です。でも、そんなものはなんだっていい。3音でありさえすれば。

(もちろん、どの3音かで、10句全体のおもむきは大きく異なる。なにを選ぶかで、(とつぜんバカみたいな言い方をするが)「センス」の如何を問われることになる。だが、そんなことは枝葉末節)

要素(語)が無限に可変なら、意味(文節)もまったくもって定着しない。

ここには「わかめ」がひつこく示されているようでいて、じつはそうではなく〈構造〉が展示されているわけです。
(…)わたしたちはふだん川柳に対して「気楽」に意味を待っています。できあがった川柳からわたしたちの意味の冒険は始まっています。ところが榊さんの川柳では、まだ靴の準備さえできていない。なにしろ、不確定なわかめですし、ふるえるわかめですから、わかめ以外の可能性もありうる。だとしたら、まだ意味の組立はできないのです。
(略)
(…)わたしたちは、率先して、わかめの森をかきわけ・かけぬけて、代入しなければならない。これは、行為です。行為が、問題になっているのです。意味は、その《あと》です。意味は、あとからやってくる。あなたを、待っている。
意味を待つをやめよ、と、榊陽子は、柳本々々はゆっている。

2015年当時、私たちはかくもエクセレントな10句と、かくも豊かなレビューに出会えたわけです。


〔*〕ただし、柳本々々氏は、代入の例示に4音の「もともと」を使用。惜しい。「意味を待っている」読者という、この論考の後半にある示唆に富む切り口がいくぶん揺らいでしまった(それはわかめだから、というオチなのだろうか)。「ふるえるわかめ」の構造にとって音数は断固として動かせない。動かない。

2026/06/12

■梅は実に、実はジャムに

玄関脇の梅、花弁が薄緑がかった梅。毎年香りはいいんだけど、実はつけなかった。それがここのところ、ぼちぼち結実するようになり、道路や生け垣に実を落とす。「落ち梅」はジャムにすると美味しいとの情報をご近所さんからいただき、それではと。

傷んでいるところを切り取って、皮ごと種からはずす。これがわりあいに手間(なので私が担当)。捌いているあいだ、よく熟れているせいだろう、枇杷の実みたいな香りがする。ような気がする。が、嗅覚に自信はない。どの覚にも自信はない。

鍋から先はyuki氏が担当。無事出来上がりの瓶3個ぶん。味見すると、酸っぱい!

おすそわけの先も決まった。ジャムとして食するのは危険なので、私は要注意。肉を炒めるときとか、この梅ジャム、いいんだそう。はい。合いそう。おいしそう。







2026/06/02

■車谷長吉と播磨弁

散歩か何か、ぶらぶら歩いていて、ふと古本屋さんの百均棚を物色。気になっていたのに読んだことのなかった車谷長吉の文庫本を見つけ、購入。『鹽壺の匙』を読んでいると、何十年ものあいだ自分の中から消え去っていた/忘れていた播磨弁の数々が目に飛び込んできた。よく知っている地名もそうだけど、自分の土俗に直接訴えかけてくる。

読み終えて、武蔵丸その他の短編の入った文庫本を購入。

で、以上のような個人的体験とは別に、とてもおもしろく、読んでいる。これから、もう何冊か、読むだろう、読むはず。

いたるところがぎしぎし軋む私小説。