2021/12/14
■If Not For You
2021/12/13
2021/11/27
■スティル・アライブ
2021/11/23
2021/11/16
■前歯
2021/11/13
2021/11/11
■映画三句 『猫街 』第4号より
単純な映画と紙コップのビール 杉山魯壜
映画館での行動様式の標準にでもしたいのか、東宝のシネマコンプレックスは、やたら、ポップコーンやドリンクを勧めてくる。込み入った映画でなければ、なにか飲みながら、というのも、リラックス感が増して愉しそう。《紙コップ》がいいですね、この句。
《火取虫》が《来ている》のではなくて、切れがあると読みました。「また火取虫(蛾)がいるよ、こないだもいた」のなら、この人も火取虫もどっちもまた来てるんだから、どっちでもいいだけどね。《火取虫》は、スクリーンの灯とつながって、愉しい。まさか、スクリーンにぶつかってくるわけではないだろうけど(昔の巡回映画なら、ありそうな景)。
映画観てからの干草は芳しく きゅうこ
2021/11/10
2021/10/01
■奇妙なカステラ 飯島章友『成長痛の月』の一句
これ、じつは多くの句において、わりあい微妙な問題なんですよね。
●
ところで、このカステラ、食べる気、します? 親子丼を突き詰めて考えると喉を通らなくなる(丼に乗った鶏肉とタマゴは実の親子ではないにしても)のと同じで、いや、違うか、カステラから鶏鳴がしたら、食べるどころではなさそう。ラヴ&ピース!
掲句は飯島章友『成長痛の月』(2021年9月/素粒社)より。
2021/09/28
■ラーメン的な宇宙の組成
って句なんですが、ラーメン、乗りにくそう。出来上がりの前でも後でも。
掲句は榊陽子『虫だった4』より。
2021/09/19
■捻れた梯子 『LOTUS』第48号より
捩れるのだから縄梯子なのだろう。かなり長いやつ。
2021/09/18
■水中花的睡眠
2021/09/17
2021/09/15
■葉やら花やら 『静かな場所』第27号より
花を抜くのはどんな花でも心理的抵抗がある。美醜の問題(つまり花は美しかったり可憐であったりする。一般に。葉や茎と比べて)ばかりではなく、花をつけ、品種によってはやがて実をつけるという過程を思う(つまり、比喩へも繋がる開花、結実)からかもしれない。
引き抜く瞬間を詠んだ句ですが、その一瞬前の逡巡にようなものが読み取れます。
掲句は『静かな場所』第27号(2021年9月15日)より。
2021/09/12
2021/08/31
2021/08/30
■まっすぐに願う 佐藤文香『菊は雪』
末尾に2音くっついた「今」が句の解釈を難しくしていると思うのだけれど、帰るまでには降ってくれよ、いや、じゃなくて、いま降れ、というふうに読んだ(誤読かもね)。性急というのもあるけど、まっすぐな願い、希求。
まっすぐって、気持ちのいいものですよ。こういう場合。
2021/08/28
■もうひとりの自分が過去に
記憶力不足、と言ってしまえばそれまでだけど、過去の自分にこのように出会うとき、あまりにも見に覚えがないものだから、ひょっとして、自分の知らないもうひとりの自分がどこかで暮らして動いていたのでないかとさえ思うのですよ。
2021/08/27
2021/08/22
■バナナの威力 『鏡』第40号より
バナナを食べている自分を鏡に映して眺めるというのは、なかなかにめずらしい行為で、これは意図というより、たまたま鏡に自分が映っていたのだろう。
バナナが素材として、というのは、俳句や文芸の素材として優れていることは、疑う余地がない。
2021/08/11
2021/08/04
2021/07/17
■そこから見える景色 『奎』第18号より
2021/07/15
2021/07/09
2021/07/08
2021/07/07
■またまた過去のこの日(七夕)
【8年前のこの日】ものすごく久しぶりのメール句会に参加したところ、投句一覧のメールのアタマに「万事大人の対応にてお願いします」とある。何があったんだ?www 怖えぇよ。
映画『A』(森達也監督/1998年)、『A2』(同/2001年)をDVDで観る。オウム真理教信者たち(事件後)を追ったドキュメンタリー。『A』は荒木広報副部長中心、『A2』は当時各地で起きた住民反対運動が中心。後者は99年・オウム新法(無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律)の前後となる。興味深く最後まで観た。自分にとっての謎や疑問が解けたわけではないが、テレビ・新聞・週刊誌とはまったく別の視点(このドキュメンタリのカメラ)が見ている風景は、少なくともマスコミが伝えるものよりもはるかに事実の感触があり、ジャーナリスティックでもある。ひとつ衝撃的なのは、警察、マスコミ、地域住民がそれぞれ醜態を晒すところ。人間て、こんなに醜いものなんだなあ(正確に言えば、こんなに醜くなれるものなのだなあ)と、これはいまさらながら衝撃的な実感。オウムに関わると、醜悪さが滲み出るということか。それこそがオウムの醜悪さであり根深さなのだろう。
【7年前のこの日】入谷の朝顔市へ。洋食屋よしむら。今は少なくなったコロラドでコーヒー。この間ひとり散歩。根岸・西念寺での句会へ。二次会(錦華楼)。三次会(呑兵衛)。異成分から成る句会(さまざまな出自・さまざまな所属の人が参加する句会)は、ひゃあ! おもしろい! 特に二次会以降。皆様、お疲れさまでした。
【4年前のこの日】嫁はんの検査(4月の腸炎での入院後、定期的にやってるのの、今回がメイン。はじめてのカメラ。これまでは炎症後なので出来なかったらしい)は朝から夕方まで一日仕事。結論からいえば、順調。悪いものは見つからなかった。ひと安心。安心すると、人って、おもいっきりハグしますね(のろけてるんじゃないぞ、言っとくが)。諸々の検査のあと、問診だったそう。担当医「なにか不調は?」嫁はん「さいきん胃がシャワシャワするんです」担当医「??? シャワシャワ?」嫁はん「はい。シャワシャワ」担当医「どういうことかな?」嫁はん「だから、シャワシャワ」そのあと、医者が笑いが止まらなくて、問診が終了したそうな。アタマのいい人は、感覚で理解してくれなくて困る、と、嫁はん、不満げ。
【3年前のこの日】私の頭、バリカンで刈れるかどうか、嫁はんがかかりつけの美容師さんに訊いたところ、大丈夫ですよ、ということで、やり方を聞いてきた。まずは髪を留めるとこから始まるのですが、嫁はん「んんん、どこで留めるんだろう? よくわからん」。え、わからない? じゃあやめといたほうがいいのでは?うちの嫁はんは、よく言えば思い切りがいい、悪くいえば平気で無茶をやる。「ここでいい……んだと思う」ジョリジョリジョリジョリ。思い切りよく刈り込んでくれましたよ。
【1年前のこの日】肉じゃが。茄子と獅子唐の油炊き。このうち茄子、獅子唐、ジャガイモが畑でとれた。ありがたや。なお、前者は嫁はんが、後者は私が調理。ラヴ&ピース!
茄子にの油炊きは、このあいだ作ったばかり。奇遇、というよりも、季節って、そういうものなのですね。
色は悪いですが、おいしいんですよ。京都風(茄子の炊いたん)は油を使わないのかな? 郷里でよく食べたのはこの油炊き。エビジャコ(瀬戸内ではよく使いますが、こっちでは見ないです)が味の決め手なんですが、入手が難しいので(乾燥エビを戻して使う手もある。でも中華の安価なやつだと味が今ひとつ)、エビジャコ無しで行きます。それはそれであっさり仕上がります。このあいだのは鷹の爪をちょこっと入れて、ほんのりピリっとさせました。
2021/07/05
■スティーリー・ダンのデューク・エリントン・カヴァー
2021/07/04
■かくかくかく、ご・ご・ご 『ぶるうまりん』第42号より
いわゆる句意というものはなくて、読者の感情・感傷に訴える句でもない。ついでにいえば、季語は見つからない。
掲句は『ぶるうまりん』第42号(2021年6月26日)より。
2021/07/03
■時節柄、河童
2021/07/02
■帰途の…
2021/06/28
■またまた過去のこの日 若之的・家具的
今夜、若さま(福田若之くん)がお越しになる予定。週刊俳句の当番をやってもらうのに、手順やら何やらをPC見ながら説明するのナイト。(OB諸君はみな、このイニシエーションを経たのですよ)ご飯食べてから作業なわけだが、何にするの?と嫁はんに訊いたら、「パスタと、それから子どもだから(若いという意味)海老フライ」とのこと。子どもだとなぜに海老フライなのか。そこは謎。
2021/06/25
■螺子のはたらき 『豆の木』第25号より
2021/06/20
■変異・変容 『豆の木』第25号より
火曜日というものがどんな曜日かというと、私にとっては、燃やすゴミの日であり、鳥たけさんの定休日。どの曜日も特別といえば特別だし、特別じゃないといえば特別じゃない。これ、あまり勧められない暮らし方です。
掲句は『豆の木』第25号(2021年5月)より。
2021/06/17
■スリッパの不思議 『豆の木』第25号より
2021/06/16
■過去のこの日・再
≫承前
〔7年前のこの日〕嫁はんが、テレビで、SNSのターゲティング広告の番組を観て、訊いてきたので、自分のFBのそれを見せる。車買い取りオーガニック美容室アン・サリー コンサートいつもは、強壮剤・バイアグラ系のも多くて、加齢の悲哀(モニター上のね。為念)を味わっているのですが。しかしなぜ美容室?〔4年前のこの日〕ハービー・ハンコックのエレピが好きなので、嫁はんには、ハンビー・ハン子になってほしくて、YouTubeのURLをメールしたりして刺激を与えようと試みるも、なかなかそちらに意識が向いてくれない。私がコーネル・デュプ男になるよりは100倍可能性が高いと思うのですが、世の中、ままならない。夫婦での居間ジャムもとんとごぶさたのまま。ちょっと怠けていた(興味が薄れていた)自転車にも徐々に復帰。走ると、夏、というかんじです。暑かったり雷雨があったり。われわれ東南アジア系日本人としては、自分たちの季節がやってきたわけで。労働して、走って、弾いて、読んで、聴いて、寝て、食べて。今年の夏も、それでほとんど埋まる。ほかに望みはないし、すこやかにほがらかに暮らせそうです。〔2年前のこの日〕ライブ完了。ご来場いただいた方々、ありがとうございました。由季氏は「すごい」といろんな人から言われてた(まあ、あれだけ弾けばね。実際すごい。本人は失敗も多く残念がってたけど)。私はMCのこと、選曲のこと、それからギターの色(グリーン!)のことを言われた。夫婦でずいぶん違うものだ(役割分担)。
2021/06/12
■過去のこの日
〔1年前のこの日〕
〔7年前のこの日〕
「投句もおもしろいのではないか」と、ふと思い立って始めた「麦」(むかし所属)への投句。1年限定のつもりが、半年の3期目(2年目)に突入。半年分の会費(6000円)の振込用紙を眺めていると、「まあ、付き合いも大事かな」と延長してしまった。
2021/06/06
2021/05/08
2021/05/03
■音楽とミュージシャンの物語 カズオ・イシグロ『夜想曲集』
2021/04/04
2021/04/03
2021/03/29
2021/03/28
2021/03/18
■アンプの身ぐるみを剝ぐ
2021/03/16
■「俳句という文芸がもたらした害悪」by 小田嶋隆
小田島隆の記事はよくネット上で面白く読んでいる。「なんで俳句を話題にするのだろう? 時事を扱って巧みな人がわざわざ?」というのがとりあえずの感想ですが、俳人からの反応も若干あるようなので、私も(なんでだ? 暇か?)反応してみると…。
1 「季節感に触れてさえいれば、自動的に名文だと思いこんでしまう大量の読者」
え? ほんと? 大量? いるとしたら、「名文」の基準が低すぎなので、これは国語教育、文化その他、もっと大きな問題に属する。
2 上記が「俳句という文芸がもたらした害悪」であるとする点
俳句が原因ではないだろう。季節・季節感が嫌いという人はあまりいないし、話題がなければ季節の話をしとけばいいというところがあるし(「ようやく涼しくなりましたね」とかの挨拶)。どちらかといえば、俳句のいうジャンルが、季節・季節感=人に嫌われない話題というところに寄りかかっているかな?
3 「何かのアンケートで「日本が好きな理由」の回答としてかなり高い順位に「四季があるから」というのがあった。地球上のどこであれ、人間の居住環境には、固有の季節変化があると思うのだが、どうして自分の国の季節感だけを特権的に考えるのか不思議だった(…)」
うん、これは不思議。ヴィヴァルディが聞いたら、腰を抜かす。
4 「あれ、たぶん「歳時記」のせいだな。」
それは違うと思う。歳時記はそれほど各家庭に行き渡っているとは思えない。歳時記をめくってみたことのある人って、どれくらいいるのだろう。ずいぶんと少ないのではないか。
6 「わが国民の季節への拘泥は、歴史や政治への無知の弁解になっている」
これはちょっと難しい。弁解にどう結びつくのか、私にはよく理解できない。「歴史や政治のことはよくわからねえが、春になったら、種さ撒くさ。夏になったら、花火見るべ」みたいなこと?(ポリコレ的に問題のある例示)
7 「俳句のレギュレーションが「季語必須」になっていることに対しては、「うっせえわ」と思っている。」
はい。そう思うこと、よくあります。でも、「季語必須」などいう「レギュレーション」、世間が考えるほど一般的じゃないです。特定流派、特定集団の決まりごとに過ぎないので、あまり気にすることもない。
8 「基本姿勢として、俳句には手を出さない。」
これは正しい。面白い散文を書く人なのに、五七五だと、なんでこんなにつまらないもの書くんだろう? という例を数多く見ているので、この態度は正解。
2021/03/09
2021/03/07
2021/03/02
■変態的奏法
≫https://hw02.blogspot.com/2021/02/blog-post_18.html
2021/02/17
■シュフ本に触発されて包丁を買う
2021/02/10
■さらう 小池康生『奎星』より
ルビはない。「復習ふ」は「さらう」だろう。教わった踊りをビルのガラスに自身を映して(スタジオなら鏡なので、違う。これは閉店後の所業施設など、街なかの仮の練習場だ)、練習を繰り返す。
夜中によく見る風景。なにかをきちんと習ったことがなく、したがってきちんとさらったことがないので、「ああ、いいな」と羨望の眼差しで、若い子たちを見ている。
「さらう」という語もあまり身近にしなかったが、結婚して一緒に暮らす人が、小さい頃から「さらう」ことを日常にしてきた(そして今は若い人たちに「さらう」ことを教え伝えている)人なので、この語をふだんからよく耳にするようになった。
●
ところで、この句の「踊り」は、どう読んでも歳時記本来の踊り、すなわち盆踊りではない。そう読めなくもないが、読者たる私は、盆踊りとは読みたくない。したがって、無季として読む(といっても寒い時期とは思えないが)。無季だからといって、なんの不便もない。
俳句における「踊り」の語は、さいきんこういうケースが多いように思う。この話題については、またあらためて。
話を戻すと、ならう、さらう。いくつになっても、この愉しさを知り、味わうことができるのだろうか。
できると、いいな。
ラヴ&ピース!
掲句は小池康生『奎星』(2020年10月/飯塚書店)より。
2021/02/08
■梅ひらく
2021/02/07
■他人の曲がり角 『川柳 ねじまき』♯7より
2021/02/04
■毛布 『閏』創刊号より
湯に浸るごとく毛布へ這入りけり 守屋明俊
「ごそごそっ」というより「むにゅむにゅっ」というかんじ。湯に浸るポーズからすると、ソファーに座ったポーズで毛布をまとったかんじかもしれないが、肌の感覚を重視すれば、寝床と読んでも間違いではなさそう。
あったかくしてくださいね。立春を過ぎたとはいえ、まだ寒い。
余談。「入る」は「いる」。昔の本などで、「はいる」は「這入る」との表記が多いような気がする(実感レベルに過ぎませんが)。
掲句は俳句同人誌『閏』創刊号(2021年2月1日)より。
2021/01/27
■バーナード・パーディ氏の件
2021/01/25
■13か月ぶりの「はがきハイク」
≫tenki.saibara@gmail.com
知らない・見たことがない、ちょっと興味があるよ、という方も、同じメールアドレスへどうぞ。
はがき「全面」/俳句全部の写真、画像キャプチャー等を、ネット上に載せるのはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。
2021/01/23
2021/01/18
■追悼フィル・スペクター
2021/01/17
2021/01/16
■川で迷う
2021/01/15
■沖からの 『奎』第16号より
鯨好きなので鯨の句に目が止まってしまいがち。それはそれとして、「夜明け前の歌」とは? そんなタイトルの歌があるかどうか私には不明ということもあって、具体的な曲名ではなく、夜明け前にふさわしい歌、くらいの意味で、どんな歌だろうと思いだしてみると、これがそうと言い切るのはむずかしく、さあ、例えば、ロバート・ワイアットのあの不定形でぐにゃぐにゃした音と声が、自分にとって夜明け前かあ、などと。
掲句は『奎』第16号(2020年12月)より。