2026/06/19

■榊陽子的わかめ構造主義

榊陽子 ふるえるわかめ 10句
週刊俳句・第442号・2015年10月11日

10年以上前の作品をきょう取り上げるのは、週刊俳句がもうすぐ第1000号を迎えることと関連しないこともない。10年のあいだ、わかめはふるえながらふえつづけた。かどうかはわからないが、ともかく、この10句。

作品タイトルの直後にある、

(なな子、社長ほか代用可)

が決定的に重要。

つまり、「わかめ」でなくても、いっこうにかまわないと宣言している。これはたいへんなことですよ(©岡田彰布)」。
「代用可」ってことは、この川柳連作はふえて/ふるえているのは「わかめ」だけでなくて、〈川柳〉もふえているということになります。
柳本々々が当時指摘するように、ふえるのはわかめだけではない〔*〕。わかめどころではない。10句単位で、たちまちにして、川柳が、句が無限に殖えてゆく。ふるえるなな子10句、ふるえる社長10句……。

読者は、読者からとつぜん多作の作者に姿を変え、別の3音を探す旅に出る。


「わかめ」に意味はない。どんな3音でもいいのだから。

天才か。

どんな3音でもいいけれど、この無限川柳製作機械のプロトタイプとして「わかめ」を選んだのは最適に近い。レディメイド的に、安っぽく、俗っぽく「ふえる」もののとして「わかめ」を選んだ目の確かさ。

天才か。


句がどのような部品で出来上がっているかは、たいていの場合の重要です。でも、そんなものはなんだっていい。3音でありさえすれば。

(もちろん、どの3音かで、10句全体のおもむきは大きく異なる。なにを選ぶかで、(とつぜんバカみたいな言い方をするが)「センス」の如何を問われることになる。だが、そんなことは枝葉末節)

要素(語)が無限に可変なら、意味(文節)もまったくもって定着しない。

ここには「わかめ」がひつこく示されているようでいて、じつはそうではなく〈構造〉が展示されているわけです。
(…)わたしたちはふだん川柳に対して「気楽」に意味を待っています。できあがった川柳からわたしたちの意味の冒険は始まっています。ところが榊さんの川柳では、まだ靴の準備さえできていない。なにしろ、不確定なわかめですし、ふるえるわかめですから、わかめ以外の可能性もありうる。だとしたら、まだ意味の組立はできないのです。
(略)
(…)わたしたちは、率先して、わかめの森をかきわけ・かけぬけて、代入しなければならない。これは、行為です。行為が、問題になっているのです。意味は、その《あと》です。意味は、あとからやってくる。あなたを、待っている。
意味を待つをやめよ、と、榊陽子は、柳本々々はゆっている。

2015年当時、私たちはかくもエクセレントな10句と、かくも豊かなレビューに出会えたわけです。


〔*〕ただし、柳本々々氏は、代入の例示に4音の「もともと」を使用。惜しい。「意味を待っている」読者という、この論考の後半にある示唆に富む切り口がいくぶん揺らいでしまった(それはわかめだから、というオチなのだろうか)。「ふるえるわかめ」の構造にとって音数は断固として動かせない。動かない。

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