今夜もラジオの話題(引っ張る引っ張る)。
J-WAVE(東京のFM局)の「ジャム・ザ・ワールド」という番組がある。
月曜日から金曜日まで20:00~21:50。ニュース番組。ヘッドライン(ストレートニュース)は簡潔で、時事トークとでもいうべき時間が多い。
途中、20:40から10分間、「ロハス・トーク」といってソトコトという雑誌の人が出てくる。この10分間は、他局に切り替える。「ロハス」とか「ソトコト」とか、大の苦手というか大嫌い。なので、切り替える。なぜ大嫌いなのか、うまく言えないが(またゆっくり考えて、どこかに書くかもしれない)、ともかくその10分間は聞かない。
で、この「ジャム・ザ・ワールド」、ニュース番組として落ち着いて聞け、テーマの取り上げ方もおもしろいのだが、それよりもちょっと「なぜ?」とびっくりしているのが、選曲。
コーナー間に1曲、という感じで流れるだけなのだが、この選曲が素晴らしい。新しいところが多いからだろう、知っている曲は少ないのだが、きわめて高確率で自分の趣味にフィットする。いや、自分の趣味との相性というだけでなく、その懲りよう、いわゆるセンスの良さがラジオ全体のなかでも抜きん出ている。
ラジオの音楽番組ではなくニュース番組。その選曲が素晴らしい、というのは、ふつうに考えるとヘンだが、実はそうでもない。音楽番組は、音楽ビジネスと密接に絡むので、個人のセンスをそのまま反映した選曲はできないのだと思う。ニュース番組では、曲は添え物。だからこそ、幅広く自由なセレクトができるのだと推測する。
ともかくJ-WAVEが聞けるなら、夜の「ジャム・ザ・ワールド」、そこでかかる曲を聞いてみてくださいませ(曜日によって選曲担当は変わるかもしれないが)。ニュースや時事問題の合間に流れる音楽がいいと、とても気持ちのいいものですよ。
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2008/10/10
2008/10/09
2008/10/08
さ、ラジオを聞こう
この数年、ラジオをよく聞く。
寺山忌ラジオのごとくうづくまる 五十嵐秀彦
掲句は五十嵐秀彦さんのブログから引いた。寺山忌は5月4日。ブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」(Brigitte Fontaine - Comme à la radio 1969)が踏まえられていることは、作者・五十嵐秀彦さんがブログでこの曲に触れていたことからも明らか。
「うづくまる」はいかにもラジオだと思った。
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ところで、句から離れるが、ラジオでしゃべっている人は、基本的に坐っている。うずくまるまで行かなくとも、立ってはいない。走りまわりもしない。
テレビのなかの人たちは、立ち、走り回り、はしゃぐ。もう、そういうのはいい、と思っている人が多いと思う。私自身はほとんどテレビを見ない。スポーツ中継はたまに見るが、音は消す(倉敷保雄のサッカー中継を除いて)。
テレビドラマという名の「学芸会」、バライエティと呼ばれる「芸人の宴会」を、そろそろ皆が飽きてもいい頃だ。ニュースも、映像がなくて結構。テレビは、(スポーツ中継を含めた)ドキュメンタリーだけでいい。
あとはラジオがいい。
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寺山忌ラジオのごとくうづくまる 五十嵐秀彦
掲句は五十嵐秀彦さんのブログから引いた。寺山忌は5月4日。ブリジット・フォンテーヌ「ラジオのように」(Brigitte Fontaine - Comme à la radio 1969)が踏まえられていることは、作者・五十嵐秀彦さんがブログでこの曲に触れていたことからも明らか。
「うづくまる」はいかにもラジオだと思った。
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ところで、句から離れるが、ラジオでしゃべっている人は、基本的に坐っている。うずくまるまで行かなくとも、立ってはいない。走りまわりもしない。
テレビのなかの人たちは、立ち、走り回り、はしゃぐ。もう、そういうのはいい、と思っている人が多いと思う。私自身はほとんどテレビを見ない。スポーツ中継はたまに見るが、音は消す(倉敷保雄のサッカー中継を除いて)。
テレビドラマという名の「学芸会」、バライエティと呼ばれる「芸人の宴会」を、そろそろ皆が飽きてもいい頃だ。ニュースも、映像がなくて結構。テレビは、(スポーツ中継を含めた)ドキュメンタリーだけでいい。
あとはラジオがいい。
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2008/10/07
エレガントな抽斗
「知識についての知識について」
http://blog.tatsuru.com/2008/09/24_1730.php
内田樹と町山智浩という、愛読ブログふたつが接近。
ネット検索があれば、「無知」が数分後には「博識」に化ける。 知識はすぐに備わる。たくさんの抽斗をいっぱいにするくらいの書類は誰でもすぐに集められるけれど、「ああ、こりゃあ、エレガントな抽斗だなあ!」というケースはきわめて少ない。
問題は、そこなのです。はい。
抽斗は多いが、未整理でごじゃごじゃ、というパターンも多い。
いったい何に使う抽斗なのか、という問題はさておいても、である。
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このことはどんな分野にも言えることだが、例えば、俳句。
むりくりの展開?
題詠をやらせると、「こいつ、化け物か」というお年寄りがいる。思考の瞬発力という点では、私と同年代の「俳句じょうず」や若い才気煥発な俳人くんたちのほうに分がありそうだが、実際のところ、こうした「化け物」的ご老人の足下にも及ばない感じ。
何が違うのかといえば、抽斗のエレガントさ、なのだ、きっと。
抽斗に入っているもののクオリティ、そして、何かが俳句へと形をむすぶ、その回路の豊富さ、その整理の良さ。すべてをひっくるめてエレガント。
わたくしもせいぜい精進します。でも、あと、少なくとも50年はかかるので、そのはるか以前に寿命が尽きる。
自分自身に「ご愁傷さま」と言ってあげたい夜。
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http://blog.tatsuru.com/2008/09/24_1730.php
内田樹と町山智浩という、愛読ブログふたつが接近。
ネット検索があれば、「無知」が数分後には「博識」に化ける。 知識はすぐに備わる。たくさんの抽斗をいっぱいにするくらいの書類は誰でもすぐに集められるけれど、「ああ、こりゃあ、エレガントな抽斗だなあ!」というケースはきわめて少ない。
問題は、そこなのです。はい。
抽斗は多いが、未整理でごじゃごじゃ、というパターンも多い。
いったい何に使う抽斗なのか、という問題はさておいても、である。
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このことはどんな分野にも言えることだが、例えば、俳句。
むりくりの展開?
題詠をやらせると、「こいつ、化け物か」というお年寄りがいる。思考の瞬発力という点では、私と同年代の「俳句じょうず」や若い才気煥発な俳人くんたちのほうに分がありそうだが、実際のところ、こうした「化け物」的ご老人の足下にも及ばない感じ。
何が違うのかといえば、抽斗のエレガントさ、なのだ、きっと。
抽斗に入っているもののクオリティ、そして、何かが俳句へと形をむすぶ、その回路の豊富さ、その整理の良さ。すべてをひっくるめてエレガント。
わたくしもせいぜい精進します。でも、あと、少なくとも50年はかかるので、そのはるか以前に寿命が尽きる。
自分自身に「ご愁傷さま」と言ってあげたい夜。
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