2009/07/05

塵風 創刊

斉田仁さんをトップに仰ぐ同人誌(なんだろうか、これ)、2009年6月30日発行。西田書店。800円+税。

このあいだ出たとたんに、もう残部僅少、らしい。私の手許にも一部しかありません。

表紙には俳句雑誌とありますが、前半は、外部からの寄稿が並ぶ。

メンツ、豪華(以下、すべて敬称略)。

まず表紙。鬼海弘雄の写真に、北村宗介の書で「塵風」の文字。
※本来なら、このおふたりの値段だけで何号も作れちゃいますね。

特集は「無頼」。

●烏鷺坊(佐山哲郎) 20句・雀荘は「劉邦」居酒屋は「安吾」
●古井戸秀夫 歌舞伎の無頼 生き過ぎたりや二十三、八幡ひけは取るまい
●つげ忠男 シェーン、カムバック これでもう〝アバヨ〟にするとヤツは言い
●宮岡蓮二 無頼二人 特攻サブとリュウ
●長谷川裕 柏原和男の一句について
●山羊タダシ 瞼
●三宅政吉 岡田兆功 荒涼とエロス
●石澤治信 不意討ちの衝撃 ポン・ジュノ映画と無頼
●久保隆 「無頼」映画・断想 『仁義の墓場』を中心に
●斉田仁 きままな忠治

とまあ、目次を並べたが…

 男臭い!
 
なんか男子校のキタナイ部室の匂いがしますよ、これw

それも1970年代から、時間が止まってるような…。つまり、いまどきの「俳句雑誌」にはまずあり得ない雑誌です。


で、俳句も載ってます。私も、出せと言われて、なんだかわからないまま20句。

  これもあのデュシャンの泉かぢかめり  天気

俳句は同人十句選が充実。20句/10句作品では、ざっと見たところ、笠井亞子が充実。

  焚火から離れて薄くなりゆけり  烏鷺坊

  ヒヤシンス高尾太夫が言いそうな  桃児

  落椿返せば水のこぼれけり  亞子

  ああ明日は週刊新潮菫咲く  吾郎

  父の忌の沖におほきな鯨来る  苑を

  淋しくないか公民館の爪楊枝  東人

  大き蛾の夜がひたひたしてゐたり  振り子

  会うたかもしれぬ雨月の劇場で  村田篠  

というわけで残部僅少ですが、お問い合わせは塵風メール(yutenji50@gmail.com)あるいは西田書店へ。

2009/07/04

事情のまったくわからない句


  牡鹿のほうにころがる銀の蓋  こしのゆみこ

事情がまったくわからない句は、しばしば魅力的だ。

意味のわからない、いわゆるシュールな句も、事情は、よくわかったりする。例えば、ここでこうわかりにくくしたいのだな、とか、こう舞台をつくって、こうドラマやりましたね、とか。

掲句。牡鹿は「おじか」だと字足らずで不思議な韻律(私は「おじかの」の後に一拍置いて読んだ。おじかの/●/ほうにころがる/ぎんのふた)。けれども、そこが事情不明なのではない。全体が不明。言い方を換えれば、この句に前後左右がない。前後とは経過、あるいは語の出自、余韻。左右とは比較(広義の比較)可能なテクスト。

俳句の歴史からも地平からも隔絶したかのような孤立。べつだん感興も湧かないこの句は、感興とも無縁という意味でさらに、なんだかわからず、したがって、とてもいい。素晴らしく面白いのだ。

『豆の木』第13号(2009年4月)より

2009/07/03

イ・チャンドン監督「シークレット・サンシャイン」

(レンタルDVD)2007年韓国。

小さな男の子を連れて元夫の故郷・密陽(シークレット・サンシャイン)に引っ越してきたピアノ教師。親切な自動車整備工場主の助けもあって、ピアノ教室を開くが、ある日、息子が誘拐され、まもなく遺体で見つかる。このあたりまでのプロットの加速度(ゆったりした導入から急展開へ)がみごと。

事件モノかと思いきや、話の本筋はここからだ。「なぜ、私だけがこんな不幸な目に? この世に神はいないのか」と嘆く母親が、どうしたことかキリスト教に入信。「魂の救済」をもとめて熱心な帰依が始まる。ところが、ひょんなことから…といった具合に、ほんと、話の展開に予断を許さない。

ところが(なんべん逆接「ところが」を使うのか!)、この映画の核心は、そうしたプロット展開のみごとさとは別のところにある。ああ、これをなんといえばいいのか、根源的な問いかけ(運命って? 神って? 精神って?)を柱として持ちながら、物語のひとつひとつの要素は、いかにも情けなく通俗的で人間臭い。誘拐の遠因がつまらない見栄だったり、神への復讐が単なる万引きだったり。でもね、人間って、そういうつまらないこと、やりますよね。その意味で(どの意味だ?)、この映画、とことん深い。

星3つ半、いや4つ? そのへん、どうでもいいや。

ともかくスイングに腰が入っている。本気で振っている。


イ・チャンドン監督作品の「オアシス」と、この「シークレット・サンシャイン」、2本を観ただけでモノを言うのですが(それだけでわかることがあるからしかたがない)、韓国映画は、日本映画なんかとはまったく違う地点、違う次元を走っていますね。ま、イ・チャンドン監督が特別なのかもしれませんが、オトナとコドモです。

2009/07/02

イ・チャンドン監督「オアシス」

(レンタルDVD)2002年韓国。

3度目の刑務所暮らしから出てきた、ちょっと知恵遅れの青年(29歳)。交通事故で死なせた男性(直近の服役がこの過失致死)の遺族を訪ねると、そこに重度脳性麻痺の若い女性。そんな彼と彼女の恋物語であるらしいこの映画、正直言って、ああ、エラい映画、借りちゃったなあ、と。

ところが、です。なんてきちんと腰の入った映画なのだろう。なんて気持ちのいい映画なのだろう。

彼女が取り残された部屋を飛ぶ白い鳩が、手鏡から反射する光に変わり…この時点で、もう、「あ、これはいい映画だな」とわかる。

重いっす。そりゃ、知恵遅れと脳性麻痺だもの。でも、ひりひりします。ふわっともします。

例えば、車椅子から、ヒロインがみずからの夢想へと立ち上がる瞬間の美しいこと、せつないこと。あの冒頭の鳩と鏡の光のメタモルフォシスですね。

主演女優のムン・ソリは、この映画でえらい評判になったそうだ。主演男優ソル・ギョングも素晴らしく上手。でも、なんといっても、監督がよろしいです。イ・チャンドンは信用できる監督という確信を持ちました。

星3つ半。んんん、思いきって4つ?

ちなみに、主人公のふたりが「あっち側」の人間で、私たちがいわゆる「健常者」という「こっち側」から観て、どうのこうの、という話ではない。そういう、観客の叙情や偽善に寄りかかったところがない。その部分で、このイ・チャンドン監督は「信用が置ける」ということなのですね。

「私」が社会から疎外された存在ではない、と、誰が言えるか。社会は、世界は、荒涼たる砂漠である(ここ、ちょっと笑うとこ)。私の「オアシス」って何なのだろうなあ。

消息 2009年7月 初旬

結社誌『鷹』2009年7月号(45周年記念号)に座談会記事。山下知津子さん、星野高士さん、鷹主宰・小川軽舟さんとおしゃべりさせていただいた内容が記事になっています。

なぜ私のようなゴミが、俳壇の名だたる作家にまじったのか。とても不思議に思われるでしょうが’(私も思います)、それはつまり週刊俳句/インターネットがらみということですから、いつも書いたりしゃべったりしていることを(新鮮味はなくとも)しゃべりました。この話題で同じことをくりかえすのも、読者が違うのだから、まあ、いいだろう、と割り切ることにしました。

さて、座談会はもうずいぶん前のことになりますが、3氏とも素敵な方で、それだけでも、蛮勇を奮って「鷹」編集部まで出かけてよかった、というものです。山下知津子さんは、昨年一年間、『俳句』の鼎談を読み、背筋がすっと伸びた感じ、毅然たる発言に注目していましたが、お会いすると、抱いていたイメージどおりの方でした。