2016/06/03

■仕掛けのある部屋 『オルガン』第5号の一句

雲丹のゐる部屋に時計の鳴る仕掛  鴇田智哉

海胆は生きているウニ、雲丹は加工品も含め食べるウニ、という区別をすることが多いようですが、この句の用字がその習わしにしたがっているかどうかは、ちょっと不明。「ゐる」だから、生きていると解することもできそうですが、そうとも限らない。

ともかく、あのウニが部屋にいる。それだけでなんだか尋常ではないです。で、何時ちょうどかわかりませんが、時計が鳴る。推理小説の一場面のようでもあります。

ウニをめぐる謎。

ウニベルシタス(universitas)の謎、と、オヤジダジャレをかましておきます。


掲句は『オルガン』第5号(2016年5月1日)より。


2016/06/02

■これも一種の空耳アワー 『街』第119号の一句

歩くたび種袋より「主は来ませり」  竹内宗一郎

シュハキマセリ。

種と紙の擦れる音から、そう聞こえて、不思議はない。

シュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリシュハキマセリ……。

リュックの外ポケットに入れていたりして、一歩ずつ、背中から「主は来ませり、主は来ませり」と聞こえてくるとしたら、生きる励みになる?(ポジティブな読み)

あるいは、しだいに狂気の淵へと? 

どちらなのかは信心の有無にもよるのでしょう。


なお、この文言はクリスマスキャロル「もろびとこぞりて」を通して馴染みのあるもの。Wikipediaに原詞が2つ挙げられている


掲句は『街』第119号(2016年6月1日)より。



【外階段】青山あたり

ワイン付きの散歩。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/05/475_29.html

ある日、それは青山通りだったりします。



2016/06/01

■火事と蝶番 『豆の木』第20号の一句

この先は火事のひろがる蝶番  三宅桃子

蝶番が結界のような位置付けで、こちら側の非・火事の領野に作者は立つ。

蝶番のカジュアルな使用感、カジュアルな形状。頑丈な扉ではなく、簡素でペラペラの戸だろう。大火事のドラマ性に、かえってコクが出る。重厚な大扉の醸し出す大ドラマとはひと味違ったコク。

ところで「結界」と呼んでしまいった以上、聖俗が生じる(読み手=私のなかに)。聖は、ひろがる火事。「この先」、どこまでひろがる(ひろがっている)のか見当のつかない火事。

すごい、火事。








■芋畑のブースカ

あれからもう20年くらい経つだろうか。隣の芋畑に、ブースカが仰向けで寝ていた(捨てられたのか?)。嫁はんが連れて帰り、洗ってやるときれいになった。

そのブースカは、いまもピアノ部屋で元気に暮らしている。




御前田あなた 【真夜中のフィギュア】遊泳ブースカ・浮遊ブースカ
http://ameblo.jp/motokichi26/entry-12165773316.html