2016/07/07

■七夕の遊び

故郷では七夕は8月。だから、今日が七夕と言われてもピンと来ないのですが、こういう遊びがあるのか。↓


きらいじゃありません。

ただし、「たなばたぼたもち」より、「たなからばたもち」のほうが、〔わけわからない餅〕感があって、好き。

※上掲は近恵たん(はじめての呼び方。新鮮)のFB。

それで、気づいたのですが(なにが「それで」なのか不明)、七夕は「あ段」のみで成立している。

山田航『ことばおてだまジャグリング』(2016年4月/文藝春秋)には、同じ段の音だけで文章を組み立てる遊びが紹介されている。あ段の例文は、「画家・ナターシャ=パーマー」から始まり「わが宝だ」で終わる。200字をゆうに超える長大なもの(同書p173)。

俳句は短いのでラクに出来そう、と思ったが、

七夕やまだ柔らかな浅間山  とか

神奈川は七夕さらばジャガー和田  とか

七夕やパパは朝方から裸  とか。

あんがいむずかしい。すごくむずかしい。

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あ、そうそう。この本には、一音を入れ替える「スプーナリズム」という遊びもあって、それでいけば、

棚からぼた餅 → ぼなからたたもち

もっとわけわからない餅になってしまう。

2016/07/06

【お知らせ】7月のくにたち句会

●2016年7月31日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

●句会場所:ロージナ茶房(予定)

●席題10題程度

●句会後の飲食もよろしければどうぞ(会費アリ)


ご参加の方は、メール(tenki.saibara@gmail.com)、電話etcでご一報いただけると幸いです。

問い合わせ等も、上記メールまで。


今月は24日(日)に北大路翼『天使の涎』・田中裕明賞受賞祝賀があったりするので、早めに告知。


■相変わらず句集を読みます

A 句を読む

B 句集を読む

このふたつは自分の中で大きく違う。

〔A 句を読む〕とは、ふだんから句会で、雑誌で、インターネット上で、数多くの句を目にする。句(俳句・川柳その他)を親しくしている。

〔B 句集を読む〕が〔A〕と違うのは、本を読むという行為だから。読む「対象」の相違ではなく、こちらの「行為」の相違なのでしょう。


このところ「週刊俳句」で句集レビューを立て続けに書かせてもらっています。

■世界のありどころ 岡野泰輔『なめらかな世界の肉』の最初のページを読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/blog-post_65.html

句集全体に言及したり、一句を取り上げたりはよくあるのだけれど、「最初の1ページだけを読む」というのはめずらしいのではないか、という発想。業界初と銘打ちたい。あえて。

句集レビューを読んで、その句集の内容がだいたいわかった気になる、というレビューも多い。それは読者にとって便利だけれど、私としては避けたい。句の引用数は最小限に、という姿勢。その意味でも「1ページだけ」はアリ。

●

ところで、句集といえば(話ががらりと変わります)、先日、八田木枯『あらくれし日月の鈔』(1995年/富士見書房)を古書にて入手。

うれしい!

木枯さんの句集は全句集などを除いて6点ある。句集タイトルはいずれも美しく、隙がない。そのなかでも一番は? と問われたら、『あらくれし日月の鈔』を挙げる。シビレませんか、このタイトル。

木枯句を読むというだけなら、幸いなことに全句集があるから、それで済む。でも、ブツとして本を持っておきたいと思っていたわけです。とくに『あらくれし日月の鈔』は。

ところで、木枯さんとお付き合いさせていただくようになったのは比較的新しく、そのとき、第5句集『夜さり』(2004年)はすでに刊行。これと第4句集『天袋』を購入していました。お話をさせていただくようになったある日、過去の句集、残部があるぶんなら、「あなたにあげよう」と言っていただいたことがあった。ふつうなら、小躍りして、「ありがとうございます」と厚意に甘えさせていただくべきだったのだろうが、固辞した。「そんなもったいないこと! いずれ古書で手に入れます」と。

押し頂くのが礼節かもしれない。でも、そのときは、固辞が、私の敬意のあらわし方だったのだと思う。木枯さんはえらぶったところのまったくない人で、若輩の甘えを受け入れる度量がじゅうぶんにあった。けれども、それだからこそ、こちらで距離をつくっておかないといけないという気があった。

こう言うと殊勝に聞こえるが、古書探索はそれほど進捗せず、以降、入手したのは第1句集『汗馬楽鈔』(1988年)のみ。なんとなく時間が経過していた。

そこへ、今回の『あらくれし日月の鈔』。もう一度言いますが、うれしい!

さて。

届いた小包の包装をひらくと、シャープなB/Wツートンの函。タイトルだけでなく、造本・装幀(伊藤鑛治)にもシビれまくっております。おまけに本文は活版印刷。快感愉悦であります。




白い表紙に箔押し。

2016/07/05

■相変わらず金魚ラヴァー

すこし前のことになるが、デパートの催事で、金魚ばかりをいろいろなオブジェにする人の作品展示をやっていて、入った。けれども、いまひとつ胸が躍らない。なんだか野暮ったい。美しくない。

考えてみれば、金魚は、金魚のままで、めっぽう洒落ていて、かつキュート。金魚を造形やら絵やらの視覚アートにすると、どうしても金魚以下になってしまうのですね。

相変わらず、金魚が好きすぎる。

胸骨がゆがむ金魚をこじらせて  榊陽子〔*〕

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俳誌『里』で続く上田信治「成分表」。2016年5月号はペットの話。「結婚してすぐの頃、家にセキセイインコのつがいがいた」。へえ! という話はさておき、
俳句の価値は、金魚が泳ぐようにしてそこに現れるので、これからは「俳句=金魚説」を唱えようか。
  灯してさざめくごとき金魚かな  飯田蛇笏
  金魚揺れべつの金魚の現れし  阪西敦子

〔*〕http://yoko575.blog.fc2.com/blog-entry-149.html



2016/07/04

■外階段が見えない外階段物件:京都・高台寺近く


外階段はたしかにあるのですが、どうもうまく写せません。これ以上物件に迫る勇気も出ず(実際、カメラ持ってそこまで深入りすると、不審者です)。



横手に廻ってみると、垂涎モノの古び方。


そのむこうにも、シブい建造物が。