「次の句集」の話を某掲示板で口にしたところ、1~2名様が本気にされたようなので、ほんとに取り掛かろうかという気になっています。
一方、「句集の準備」の過程を記事にするというアイデアも少し前からありました。コンセプトは? 版元は? コストは? そういう制作過程を記事にしていくわけです。
「なぜ、句集をつくろうなんて思ったのか?」という質問は、前の句集『けむり』のときにも受けました。
なぜって? ううん、思いつきかなあ。
こういうことって、他人から要請されるわけでもないので(私の場合はネ)、「思いつき」と答えるしかない(他にも理由を付けようと思えば付く。実際、付けた)。
まあ、それはそれとして、「思いつき」は最上の理由かもしれません。
「なんだか知らないけど、思いつちゃったから」
そういう始まり方。
理由は希薄であればあるほど有効な理由だったりもするのです、経験上。
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というわけで、のんびり、句集づくりをスタートすることにします。長い道のりになりそうです。
と、ここで、ひとつ問題が(私のアタマの中で)浮かび上がりました。長い道のりを経て、句集は完成するかもしれない。だが、そのとき、「句集を出さない」という選択・決断もあるだろう。それって準備がムダにならないか?
「出さない」理由はいくつも思い浮かびます。まず、「こんなものを誰が読むのだ?」という結論に到る場合。あるいは、オカネの問題。句集を出すにはオカネがかかります。完成したとき、オカネがない、あるいは句集の自費出版なんぞにオカネを使う気がない。あるいは、俳句に興味がなくなった(句集の準備ができたその瞬間に、です)…等々。
そんなときはどうする?
しかし、これにはすぐに答えが出ました。
出さなければいい。作り終えて、それで終わり。
〔句集をつくること〕と〔句集を出版すること〕は、ひじょうに近いものではありますが、イコールではありません。違うことです。
だから、〔句集づくり〕はやる。
出版するかどうかは、そのとき決めればいい。
ということで、次は第2回ですね。
【今回のポイント】
1 思いついちゃったので、次の句集づくりにとりかかる。
2 句集をつくること、句集を出版すること、この2つは別物。
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