川って、そんなものなのだろうか? 合流して、支流となって、また合流して。
あついは、俳句における「切れ」をこの句の読みに用いて、《川と川/なんどでも出会いなおせる》、つまり、「なんどでも出会いなおせる」は川ではなくて、例えば私たち(人と人)のことである(けれども、そこで切れたとしても、川のイメージは句の最後までついてまわるのだけれど)。
ところで、私は、この点について悲観的で、「出会いなおせる」とは、あまり思っていない。小さな失敗や軽い摩擦が尾を引く。んんん、なかなかに悲しい。
でも、「なんどでも出会いなおせる」と言ってもらうと、そういえば、もう一度会ったとき、前とは違う感じの時間が過ごせたりするような気もする。いや、同じ感じに、というのが、そもそも難しいそ、などと、考えがもう一方に振れたりする。
ああ、しかし、こんなことをうじうじ考えていること自体、ダメだ、意味ない! 川を見に行ったほうが、ずいぶんとマシだ、と、いま、自転車を乗ろうとしているところです。
掲句は『Pegazine 04』(2023年10月14日)より。
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