短歌にすることで最も魅力的に見えることだけを 短歌にしてください。 エッセイにしたほうがいいことは、 エッセイにしたほうがいいです。 枡野浩一の短歌教室
http://www.k-hosaka.com/merumagaK/vol.03/masuno1.html
「短歌」の箇所は「俳句」に代替可能。
では、エッセイの部分はどうでしょう?
〔写真に撮ったほうがいいものは写真のほうがいい。俳句にすることもない〕
これはそのとおりの模様。
でも、実際のところ、「見れば済みますよね。わざわざ俳句にしなくても」「見たほうがおもしろそう。俳句にするよりも」という句は多い。ただ、これを句にしないとなると、句にできることはずいぶんと減ってしまうかもしれない(一句もできない、という人も出てきそう)。
では、これだと、どうでしょう?
〔アニメにしたほうがいいことはアニメのほうがいい。俳句にすることはない〕
これも言えそうだけど、俳句やエッセイや写真と違って、アニメは誰にでも制作できるものでもない。「アニメはたいへんだから、俳句にする、というのは許されていい」という見方もできそう。けれども、考えてみれば、それもおかしな話。
〔俳句にすることで最も魅力的に見えることだけを俳句にしてください〕というのが本来の姿勢、枡野さんの教え(の俳句的展開)なわけだから。
この視点、つまり、「他でやるほうがいいんじゃないの? そのネタなら」という視点は、いつも持っておきたいものです。
ある種の禁欲でもありますから、なかなか困難ではあるのですが、ね。
ただ、だからといってちぢこまることもない。〔俳句だからこそおもしろいもの〕はぞんがい幅広い。そのことは、これまでずっと俳句というもの(さまざまな句)が私たちに教えてくれている。
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