僕にとって、このような俳句は、俳句であることを認めたくないものです。:仮屋賢一
http://sengohaiku.blogspot.jp/2015/10/kt1.html
A これは俳句ではない。
B これは俳句だ。つまらない俳句だ。
このふたつはそれほど違うことは言っていないようにも思える。自分が評価しない句を前にしてのセリフとして。
前者(A)には、俳句ジャンルへの信頼・信奉・期待が見いだせる、後者(B)はさにあらず、といった違いはあるものの。
前者には、「これを俳句と認めたら、俳句がつまらなくなる」といった心情があるのかもしれません。
さて、私といえば、たいてい、Bのほう。「本人(当該の句)が俳句と言うのだから、俳句なのだろう。俳句にもいろいろなものがある」と考える。現実主義。つまらないものも含めて俳句、という考え方です。
理想主義がある種の暴力(ざっくり言えば排除etc)への破裂を孕む一方、現実主義は虚無にからめとられる、それぞれに落とし穴があるわけで、このへん、良き態度・良きバランスとはどんなものなのか、たいへん難しいところです。
さらに言えば、何がつまらなくて、何がつまらなくないのか、そこは個人個人がばらばらに拡散してしまうという事情もあって(だから「いい俳句とは?」といった追求が生まれたりもする)、よけいややこしい。
自分としては、総論よりも各論、サロン的言説〔要説明だけど別の機会に譲る〕から遠く身を置き、享楽的読者でいつづける、といったところでしょうか、とりあえず。
(イメージ画像。本文とは無関係) |
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