思った以上にピンクだった山田航編著『桜前線開架宣言』(2015年12月/左右社)。
句会のとき、こんな本、買ったよ、と俳人諸氏にお見せしたところ、ある人は手にとりページをすこしめくったとたん、「うっ、自意識が……」と、なにか濃厚すぎるソースに反応するかのように、目をそらしました。
「作者の自意識の発露がなにより苦手、だから俳句やってる」という人は多いようです。私も、その手の発露・披瀝はカンベンなクチですが(俳句にだって、ありますよ)、「自意識という芸」なら、イケたりします。1970年以降生まれの歌人を集めたこの本の、その点での濃淡については、これから楽しみに読んでいきます。
それよりも、いまどきの(とくに口語の)短歌=大喜利のネタ(すこし長めの)、という偏見はあって(俳句にだって、ありますよ。ざぶとん取りに行く句)、そのへんも確かめつつ味わいたいと思います。
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帯の文句「21世紀は短歌が勝ちます」は、勝負相手を示さない点、きわめてじょうず。
相対ではなく絶対的な価値としての「勝ち」? とはいえ、相手が想定されているのかもしれません。
「何に、だと思う?」
「やっぱり、世間に、かな?」
昭和枯れすすき世代ですな。……貧しさに負けた♪ いえ、世間に負けた♪
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