『閏』第18号(2023年12月1日)より。
《在るべし》は、推量(在るんだろうなあ)か命令(在れよ)か、迷うところ。
ふたつを混ぜて(そんなこと、許されるのかどうか知らないが)、「在るんだよな」と解したいところ。
泣茸も在るんだよな? 笑茸があるんだから。
ところで、ワライタケの Wikipedia には「(…)採取したキノコを汁に入れて食べたところ、妻が裸で踊るやら、三味線を弾きだしたやら」など、ファンキーな解説。
掲句は、実在のワライタケから、(おそらく)実在はしない泣茸に思いを馳せた軽妙な句と読めるいっぽう、しんみりと、つまり、泣きたいことがあるのに泣けない状況を詠んだとも読め、ここもまた迷うところ。きっと、違うときに読めば、印象が変わりそう。
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