2018/02/20

■指先 『円錐』第76号の今泉康弘

菊の香や棺より戻す指の先  今泉康弘

蓮の香や天より戻す指の先  同

『円錐』第76号(2018年2月15日)掲載の今泉康弘「誰も目覚めてはならぬ」12句の冒頭に置かれた2句。

前者は言うまでもなく、《ある程の菊投げ入れよ棺の中 夏目漱石》が下敷き。その直後を詠んだような一句。

その構成と音に呼応した2句目は、蓮と天の照応(伝統的で安定した照応)のなかで、「指の先」が美しく幻想的。

プレテキストから出発して、素晴らしい変奏へ。こういうセット、ほんと愉しい。


草色の雲ありてすぐ枯れてゆく  同

この句も美しい。


2018/02/18

■もうひらいています

ウチの前の梅。


2018/02/17

■勝手に組句:夕立

今走つてゐること夕立来さうなこと  上田信治『リボン』

夕立が来さうで来たり走るなり  西村麒麟『鴨』

夕立と走るはセット。これを詠んだからと言って必ずいわゆる類想になるわけではない。そんなことを言ったら、どんな優れた映画も、「よく見た」シーンの合成物。要は、人が知っていることをどのように組み立てて、「在ったもの」「在るもの」こそが、世界のあざやかさを形作っていることを提示すること=俳句、です。ちがう?

夕立が来そうだから走る人(1句目の語順は因果そのままではないが、まあ、とりあえず)と来てから走る人。

どちらの句も好き。


≫柳本々々【感想】今走つてゐること夕立来さうなこと
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-169.html

■『オルガン』第12号の鯨

会議眠たし馬鹿シロナガスクジラ  田島健一

「馬鹿」の挿入具合・混入具合。「白鳥定食」を思い出した。

『オルガン』第12号(2018年2月3日)には、福田若之「パサージュの鯨」13句も掲載。

徐行する鯨の知その裏のたばこ屋  福田若之

福田は同じタイトルで、『週刊俳句』第57号(2017年12月24日)にも10句の鯨句を寄稿。一句も重複しておらず、合わせて23句を「パサージュの鯨」と解すればよいのかもしれない。

【訂正・補記】
「パサージュの鯨」は他にもたくさんあるらしい。『オルガン』の同じ号のテーマ詠にも。また、いま話題沸騰(参照1・参照2)の『群青』にも。つまり、福田鯨は大増殖中。

鯨って、魅力的なんですよね。


そうそう。田島健一『ただならぬぽ』、ゆうべ再読したんだけど、やっぱり、クソおもしろいぞ、これ。

ラヴ&ピース!

2018/02/16

■空は 『円錐』第76号の宮﨑莉々香

きょう届いた『円錐』第76号(2018年2月15日)に宮﨑莉々香「けやき台団地」20句。昨日に続いて速報的に。


けやき台団地は、過日、福田若之くんと二人で散歩したときにも通ったことだし(同名の別団地かもしれないけれど)。

きのう取り上げた「表情」13句に比べると、輪郭のくっきりした句が多い印象。そんななか、

歯ならびが写真にしたとたんふるびる  宮﨑莉々香

電柱を囲むと白いビルになる  同

といった(選ぶ私にとっては偶然にも)無季の句が、感覚の軋みのようなものを伝えて、興趣。

(おっ、どっちも「びる」「ビル」。って、しょうもないこと言ってる場合じゃない)

季語って、便利な半面(この作者が便利に使っていると言っているのではありません)、悩ましいものでもあるなあ、と思いました。俳句伝統の、よく設えられた感じ方・読み方の筋道を否応なく引っ張ってきちゃうところがある。だから、「設えられていない」道を行こうとする句に魅力を感じてしまうと、季語含みの〈収まりの良さ〉が邪魔になったりする。もっとも、それは承知で、季語の刷新のようなものを企図する作家が確実にある程度の数いて、宮﨑莉々香もその一人なのだろうけれど。

あ、そうそう。

冷たいと言はれはるばるから空は  同

福田くんと散歩した午前は、こんな感じの空だったと思う。「こんな感じって、どんな?」と訊かれても困る。こんな、だったよ。

ラヴ&ピース!