けやき台団地は、過日、福田若之くんと二人で散歩したときにも通ったことだし(同名の別団地かもしれないけれど)。
きのう取り上げた「表情」13句に比べると、輪郭のくっきりした句が多い印象。そんななか、
歯ならびが写真にしたとたんふるびる 宮﨑莉々香
電柱を囲むと白いビルになる 同
といった(選ぶ私にとっては偶然にも)無季の句が、感覚の軋みのようなものを伝えて、興趣。
(おっ、どっちも「びる」「ビル」。って、しょうもないこと言ってる場合じゃない)
季語って、便利な半面(この作者が便利に使っていると言っているのではありません)、悩ましいものでもあるなあ、と思いました。俳句伝統の、よく設えられた感じ方・読み方の筋道を否応なく引っ張ってきちゃうところがある。だから、「設えられていない」道を行こうとする句に魅力を感じてしまうと、季語含みの〈収まりの良さ〉が邪魔になったりする。もっとも、それは承知で、季語の刷新のようなものを企図する作家が確実にある程度の数いて、宮﨑莉々香もその一人なのだろうけれど。
あ、そうそう。
冷たいと言はれはるばるから空は 同
福田くんと散歩した午前は、こんな感じの空だったと思う。「こんな感じって、どんな?」と訊かれても困る。こんな、だったよ。
ラヴ&ピース!
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