「わからない」というのは、未来の時間のわからなさと、同質なものなのではないか。俳句がついに描きだそうとするものも、そういう性質のものではないのか。— たじま (@tajimaken) 2018年1月24日
この手の「わからない」は《開かれている》。なんだか希望のある、明るい「わからなさ」ということですね。句が既知として静的なわけではなく、未知へと動いていく最中というか。
しかしながら、このところよく目にする・耳にする「わからない」は(参照:例えばこちら)(上記ツイートは、俳句世間の「わからない」発言に向けられたものでもありましょう)ぜんぜんこんなんじゃなくて、暗くて、《閉じている》。なんでなんだろうね?
自分にとっての俳句は、何かについてわかり合うためのものでもなければ、わかりたい主体を納得させるためのものでもなく、永遠にわかりようもないものを他者と共有するための「断末魔の文学」でありたい。— たじま (@tajimaken) 2018年1月24日
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