2017/11/16
■『オルガン』は純文学
『オルガン』の句を取り上げると、オルガンの動画を載せられるので、うれしい(ヘンなうれしがりかた)。
楽器としてのオルガンにはいろいろあるのですが(演ってる音楽もいろいろ)、貼っているのはもっぱら、ソウル/ジャズ系。だからといって、俳誌『オルガン』がソウルフルあるいはジャジーかというと、そうでもない。
同人誌というもの、メンバーによって作風が異なる(結社誌のほうが均一でしょうね、道理的には)。だから、ジッパヒトカラゲにソウルフルとかジャジーとか形容詞をあてはまめることにはムリがある。それは承知しながらも、自分なりにざっくりその俳誌を言い表す語について思案したりする。でね、昨日、思いついたのは「純文学」という語。
『オルガン』って、純文学だよな。と、ひとりごちたわけです(声にはしません、アタマの中で)。
俳句全般、純文学とエンタメ(昔なら中間小説・大衆小説と呼ばれていた分野)という二極をもって位置づけることができるかもしれない。
もちろん洩れてくる句/作家、どちらなのか迷う句/作家もあるでしょうけど。
というわけで、『オルガン』は純文学。
では、エンタメに属する句は?
例えば、このあいだ週俳にレビューを書いた大野泰雄『へにやり』なんかが、そう(私の決め方です。いまさらの為念)。
あ、そうそう、サブカル的な句群は、純文学じゃないほう、エンタメに入れていいかもしれません。例えば、だいぶ前に週俳にレビューを書いた岡野泰輔『なめらかな世界の肉』。
どれが良いとか悪いとかではなく、俳句は、豊かなバラエティーをもっているということ。
「俳句とはこういうもの」「そんなのは俳句じゃない」とか偏狭なことを言わずに、ひゃあぁ、いろいろあるなあ、ニコニコ、でいいんじゃないかと思います。
ラヴ&ピース!
≫『オルガン』ウェブサイト
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿