記事中、《冷麦のいつぽんのおるおほりみづ》《家壊されて明るくなつて羽抜鶏》等の句を引き、「賢者タイム的冷淡さがあこにある」との評。
蚊柱のざわめき、みんなでつついた冷麦、おかしな出来の福笑、美味しいランチ、非日常的な解体シーン、それらが消失したあとに残された景色(…)作者本人(私)、なるほどなあ、と感心してしまった。慧眼。
性交後(の虚脱)をさす語 post coitus はふだんあまり使われない用語のようだ。カタカナで検索してヒットするのは、京都のおしゃれなバー(今は元田中にあるそうだが、むかし河原町ではなかったでしたっけ?)のみ。いまどきの「賢者タイム」とは、この post coitus のことだろうと思う。
ま、それはそれとして(性的比喩にこだわる年齢ではない)(賢者という比喩もおこがましい。キャラではない)、私が作る句は「体温が低い」と評されることもある模様。そのへんは自分ではよくわからない。良い意味でも悪い意味でもなく、自分は自分の感じでしか句を作れない(誰もがそう)。
で、リアルの私は、体温はふつうだと思う。血圧は低い(上が100に届かない)。これからも低血圧俳句で行くしかないと、腹をくくろうと思います。
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