パリの地図ひろげておとなしい孔雀 佐藤りえ
意味が確定しない句(悪いことではありません。為念)。地図をひろげたのが誰か(何か)で句意が違ってきます。
パリの地図ひろげて//おとなしい孔雀 ……切れを読んで、誰かが地図をひろげた、と読む。
私はそうではなく、孔雀が「パリの地図」をひろげたと読みました(羽をひろげると、それがパリの地図)。
前者だとパリの動物園か何かの一場面。穏当な句です。後者だと、かなりマボロシ的・前衛的(一種の見立て、伝統に属する見立ての技法ではあるのですが)。
後者のほうが、イメージが豊かです。前者だと冊子・紙の地図、こぢんまりまとまります。後者だと、孔雀の羽程度には大きく、きらびやか。
後者の読みを採るもうひとつの理由は、この句が「怪雨(ファフロツキーズ)」という、たぶんに物語的(あるいは奇譚めく)タイトルの20句(『俳句新空間』第4号/2015年8月20日所収)のうちの一句であること。
作品中の、
人工を恥ぢて人工知能泣く 同
夏痩せて肘からのぞくベアリング 同
といったSF風味、それも20世紀中葉のSF風味を備えた句と併せて読むと、この孔雀もパリも、いまのものではなく、50年か100年か前の孔雀とパリのように思えてきます。
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