2015/09/26

■郵便の話

コットンペーパーの便箋(無印良品)。よくある便箋の紙質と違っていて(インクがよく滲みる)、なかなか新鮮。

小ぶりなところがちょっと女性っぽくて、やや難、ではあるけれど。



でね、週刊俳句・第439号に「トボケてみせる 大島英昭『花はこべ』の一句」を寄稿しているわけですが、記事中、いちばん好きな句として挙げた、

焚き火する人に郵便届きけり  大島英昭

について、少し。

焚き火をしている人のところに郵便が届いた。それだけ。

俳句には、どこがいい、なにがいい、と美点を説明しやすい句と、しにくい句があります。この句はおそらく後者。

けれども、いくつか、この句の成分、好ましい成分については語ることができます。
焚き火と郵便物に関する物語の蓄積。例えば焚き火で手紙を燃やすという行為・シーンはたいへん馴染みのあるモチーフです(私も、焚き火と手紙で一句つくっております:≫こちら)。それを詠むわけではなくとも、手紙と焚き火という安定した組み合わせ、その歴史的繰り返しの上にこの句があって、読者の興趣・感慨はある程度保証されている。

外にいる人に届くのだから、郵便夫の手が見えます。直接手渡される瞬間、あるいは郵便受けに入るところ。それがはっきり見える。ここが、この句の気持ちのいいところです。

そして、「郵便」という語の選択。この部分は「はがき」「手紙」なども代替可能ですが、例えば「手紙」だと物語過多。若干の感傷も帯びる。「郵便」の語は、抽象・省略でありながら、他の語と比べて、なぜか不思議に即物的です。 「郵便」の語で、うまくバランスがとれているなあ、と思うですよ。

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