2015/09/17

■「原理主義」って?……『クプラス』の「俳句界マッピング」

『クプラス』第2号、座談記事「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」を、付録「平成二十六年俳諧國之概略」と併せて読みました。

で、そこにね、「マッピング」の際の「三つの大枠」=ロマン主義・伝統主義・原理主義についての説明があるのですが、以下は、「原理主義」についてのくだり。
《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾斜してゆく。(山田耕司)
えっ?(大袈裟) それを「原理主義(ファンダメンタリズム)」と呼ぶんですか?

ここが、わたしにはわかりませんでした。「原理主義」を、そういう意味で使うなら(座談会では、そう)、私の知っている原理主義とは別物です。

用語の問題に過ぎない、という向きもありましょうが、気になりました。俳句世間で「原理主義」という語がこの意味で定着していくのだとしたら、話が通じない局面が出てきそうで困った困った(もちろん困るのは私。気にならない人はきっと困らない)。


上記の説明だと、「ラディカリズム(根源主義)」のほうがしっくりきます(誤解を招きやすい語ですけどね)。マップにある鴇田智哉や関悦史の俳句も「ラディカリズム」と呼んでさしつかえないだろう、というのが私の考え。

むしろ、この記事で「伝統主義」と呼ばれているもの〔*〕をこそ「原理主義」あるいは「俳句原理主義」と呼びたいところです(「俳諧原理主義」とは言わない)。


補記:「ロマン主義」という項目の設定は秀逸ですねえ。つくづく。


〔*〕「伝統主義」についての山田耕司の説明は「厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一句ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある」。





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