≫第2回 散歩のように
≫第1回 思いつく→始まる
過日、お名前は存じ上げていてようやくご挨拶の叶った佳人に拙句集『けむり』をお送りしたところ(雑談でその話になったのだ)、その礼状に「封を開けて取り出したブツから、けむりの匂い」とある。残部を置いてある部屋が私が喫煙する部屋でもあって、長年燻された結果、ページに煙の匂いが染み込んでしまったのだ。もう遅いかもしれないが、残部少量となったこの句集の保管場所を別の部屋に移すことにする。
というわけで、今回の句集企画の一手順として、前の句集(2011年)との関係を考えることにします。
まず頻度。
前句集からあまり時間を隔てないで出すと、「えらいポコポコとたくさん句集を出す人だなあ」という印象を免れない。実際、そのパターン、ある。
では、どのくらい開ければいいのか。八田木枯さんはご自分の句集の間隔を「5年」とおっしゃっていた。調べてみると、年齢が行ってから初期の句を集めた『汗馬楽鈔』から最後の句集『鏡騒』まで1988年、1995年(2点)、1998年、2004年、2010年。22年間で6点。だいたいそのペースになっている。木枯さんを参考にするのはおこがましいが、5年経てば、次の句集を考えていい。それが目安になる。来年2016年以降なら、『けむり』から5年以上を経過することになり、まあ、それならいいか、と。
次に内容。
これ、結論を言ってしまうと、前の句集『けむり』とはまったく違った感じにしたい。別に理由はない。強いて言うなら、「せっかく別の本なんだから」。
では、どう変えるか。
作る俳句は、そうそうがらりと変えられるものでもない。だから、「本のかたち」を変えることになる。
1 造本・装幀
『けむり』の造本・装幀は、こんなかんじ(↓)。見たことない人のために。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiMhrkaBtRvlEzw00MC5hWuc1WSvowmD30GZZI9pdPh3bI8FwH9Zn0jC6k13hH-ptyJY7_zvUhh7FLYxjEb9DkxleoaxX9OCiqTqXxpROUFFn-fmS1k4yp9vBzs95hIpxrnXN9awCUk31k/s1600/kemuri02.jpg
かなり変則的。表紙がなく、中身を剝き出しにして、大きめの帯を巻いた。
変わった造本だったから、次の句集は「ふつう」な感じ、標準的なものにする、という手もあるが、そうではなく、『けむり』とは違う路線で変則的なもの。それがどんなものか、
ただ、具体的な部分はまだまったく固まっていない。それに、中身(句)が先で、そこから造本・装幀を考える、というのが筋というもの。
2 どんな句群?
『けむり』は、ある程度のトーンを決めて、句を拾い、そこにヘンなものを混ぜていった。なぜそうしたのか、いくつか理由があるが、割愛)。
今回は、前回なら拾わなかったような句を混ぜることにする。『けむり』に入れなかった句を入れることもあるはず。簡単にいえば、前回よりも暴れた感じ、傾いた感じ、バカな感じが出せれば、成功。
3 句数
『けむり』は300句強。標準か、それより少し多い。ここから大きく変えるとなると、半分以下(150句以下)か、倍以上(600句以上)。
2を理由に、後者を選択。
句がたくさん要るなあ。まだ拾ってもいないし、数えていないけれど、だいぶ足りなさそう。
4 構成
『けむり』は4章立てで、各章の中で季節順(ただし、春や新年から始まるとは限らない。例えば第1章はたしか夏に始まり春に終わる)。これはごく一般的で標準的な構成。
次の句集は、そこから大きく変える。いま考えているのは、5句から数十句単位の連作の集合にするスタイル。
以上、ざっくりだけれど、これでも自分の中ではだいぶイメージが固まってきている。
こういうふわっとしたことをあれこれ考えるのは、日曜日向きですね。
なんにもで言えることですが、プランを頭の中であれこれ練ったり捏ねたりしているうちが楽しい。出来上がったときよりも、まだかたちにならないプランの段階のほうが楽しいですよね。
誰彼となく、勧めてしまいそうです。「句集作りは楽しいよ! なに、出さなくてもいいんです。作っていくのが楽しいんだから」
(次回に続く)
イメージ映像。こんなふうな具体的な作業までは、 まだだいぶ時間がかかりそう。 |
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