自由律俳句が自由で、定型俳句が不自由だなんて考えている人は、さすがにもういないと思う。
不自由な自由律俳句もあれば、自由な定型俳句もある。vice versa(逆もまた同じ)
俳句の自由と不自由は、律とはまた別のところにある。
自由な句とはどんな句かというと、「とらわれない句」かな? 不自由な句とは「とらわれた句」。
何にとらわれない/とらわれるのかというと、それはもう、さまざまなことに。
その「さまざま」がなにとなにとなにかというと……それはもう、おのおのが自分で考えるべきなんでしょう(マジメにいえば、それでその人の俳句が、作家性が決まる)。
(何も言っていないに等しい記事になってしまい、誠に遺憾)
ラヴ&ピース!
なお、何にこだわるかも、ある。人それぞれ違っていて、これもまたなかなかに重要。
ついでに、もうひとつ。とらわれない/こだわる、その対象・テーマは、ひとりの作り手において、かなり流動的のようですよ。
余談。別の話になってしまいますが、ある自由律俳句の募集要綱に「575は自由律ではないのでダメ」とあるのを見たときは、これって、「ぜんぜん自由じゃないじゃん!」というツッコミ待ちのボケなんだろうな、と感心したことでした。
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