仮屋(賢一)「若いっていうだけで期待されることって多いじゃないですか。期待の仕方があんまりうまくないというか」
安岡(麻祐)「無責任な期待の仕方が多いですね。若いから新しいでしょ、みたいな」
野住(朋可)「俳句界に、お年を召した人が多いからかもしれませんね」
(…)
安岡「若くて新しいね、と言われたらマジで? みたいに思います」
『奎』第5号(2018年3月12日)の巻頭座談会「若手俳人の動向を見渡す・後編」より。
年寄りだかオトナだかが、若い俳人に「新しさ」を期待するって話はよく聞きます。
本気で言ってるんなら、「新しさ」をナメてる。
本気じゃないなら、若い人をナメてる。
どっちにしても取り合わずにおいたほうがいい。
(だいたいは本気じゃないです。おそらく社交辞令)
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「新しさ」って、そんなに簡単なものではないでしょ? どんなジャンルでも。
何十年と近くにいて、一度、新しさを目の当たりにできるかどうか。そのくらいのもののはず。でも、その「一度きり」に出会えるかもしれないから、ずっと付き合っていくわけです。好きなジャンルには。
「新しい俳句」を、これを読んでいるあなたが、座談会の若者たちが、あるいは私が、これから書ける確率は、きっと万に一つもない。でも、百万に一つが起きるかもしれないから、ずっと付き合っていくわけです。好きなジャンルには。
ま、「新しさ」をそれほどのものとは考えず、昔から延々たくさんの人が書いてきたような句ばかり作ってんじゃないよ、くらいの意味ならわかります。でも、それって、若い人に限った話ではないわけで。
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なお、冒頭で引いた座談会、若い俳人さんたちの気分みたいなものも伝わってきて、おもしろいです。機会があれば、ご一読を。
ラヴ&ピース!
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