ちょこっと煽情的な内容が入ると、いつものの数倍のページビューに膨らむんですね。
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好きな句のことや好きなものについて書いていたいし、そっちを読んでほしいけど、うまくいかないものですね。みなさん下世話というか、あ、失言、もとい、私の不徳のいたすところであります。
さて、俳句世間でルサンチマンに囚われてると聞いた読者の反応は、
1 どういうことか、記事を読んでもわからない
2 特定の人物をアタマに思い描く:読んだ人によって違う
3 これって、私だ
人それぞれ。
あの記事は一般論で、俳句世間に言及した後半部分も、特定の人について書いたわけではありません(数例、目にしたことを念頭に置いてはいるけれど)。
ひとつの記事が、読む人によっていろいろ、というか、ぜんぜん違ったふうに読まれることはまえまえから充分に知っていますから、どうでもいいんですけどね。
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この記事には直接の反応もあって、「承認欲求」という語を使う人もいました。まあ、シンプルに捉えれば、承認欲求が満たされない状態が続くと、ルサンチマンに囚われたりもするのでしょう。
「承認欲求」という語の使用には抵抗があります(なんだか甘えに聞こえる)。俳句と関わっていくのに、そんなもの、要るのか、とも思う。
でも、考えてみれば、「承認」なしでやっていける人間はいないわけで、現実では、適量、欲求して、そこそこ満たされれば、幸福に暮らしていけのかもしれない。このへんは、あまり興味がないので、いいかげんなことを言っています。
ところで、この「承認して!」という心の叫びは、ルサンチマンへと向かうこともあれば、旺盛な「俳壇」活動に向かうこともある模様。2つの道は似ているようにも見えるし、ずいぶんと違うようにも見える。違うとすれば、どこでなにをきっかけに分岐するのか。ちょっと興味はあるけど、ま、これもどうでもいいこと。
前にも書いたけど、この年齢になると、承認欲求どころじゃない。承認されようがされよまいが、生きてくしかないわけです。そして、どうせ生きてくなら愉しいほうがいい。人生、そんなに長くない。
ラヴ&ピース!
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