「東京がなんぼのもんじゃ」という惹句をまとった『関西俳句なう』(本阿弥書店)が話題らしい。
まだ拝見していません。すみません。
興味のある方はこちら↓↓↓
さて、「東京俳句」「東京俳壇」という語がこの世に存在しないこと、そして、この本があえて「東京が」と惹句に謳い、「関西俳句」とみずからカテゴライズしたことで、俳句を超えた《東京・日本・ローカル》という図式が垣間見えるわけですが、それはそれとして、ひとつ、思い出したこと、というか、印象に残ったことがあるので、それを。
●
関西現代俳句協会のイベントにお邪魔して『週刊俳句』についてお話したときのことです(去年の2月だったか?)。質問タイムで、三木基史さんから、「週刊俳句はどうして東京だったのか(東京で始まったのか」という質問が出ました。
どう答えたか正確には憶えていませんが、かなり面食らいました。週刊俳句が東京、という意識が皆無だったからです。
答えるとしたら、「思いついた人間(私)がたまたま東京(近郊)に住んでいたから」くらいでしょうか。
けれどもこの回答には若干ゴマカシが入っています。質問の本意は、「東京にいる人間がどうしてウェブマガジンを思いついたのか、スタートできたか」というものでしょう。この点で、私は「たまたま」とは言い切れない。もし別の地方にいたら、もしアラスカ住まいだったら、週刊俳句を思いついたかどうか。
でも、それも含めて、「たまたま」としか言えない部分がある。
周知の通り、場所を選ばないのがインターネットの特徴です。実際、週刊俳句には、フロリダからロビン・ギルさんが寄稿したし、ニューヨークからぽぽなさんが寄稿したし、ニースから毎週、小津さんが寄稿してくれています。当番(運営)はみな東京とその周辺に住んでいますが、実際に会うことはほとんどない。ここに遠く離れた人が加わっても運営は成り立ち、これまでどおり続いていくでしょう(住んでいる場所よりも人が肝心)。
とはいえ、週刊俳句=東京という感じも理解できます。でも、それは週刊俳句が望んでいることではない。もっと場所に縛られない成り立ちが実現できるはずと思っています。
●いつかこのさき、東京じゃないところに住んでいる人も運営に加わること。
●東京じゃないところ(例えば関西)でオフ会を開くこと。
くだらない施策に見えようとも、こういうことから、週俳=東京というイメージから脱却していけるかもしれません。
ワールドワイドウェブな俳句マガジン=週刊俳句、ってことで。
つうか、週刊俳句=東京じゃないからね! 私は東京じゃなくて東京西郊だし、福田くんなんか、もっと西で、4月の昨日に雪がばんばん降った八王子なんだから!
0 件のコメント:
コメントを投稿