鳥の巣に鳥がいるとは限らない 久留島元
じゃあ何が?というツッコミ期待のボケネタとして、あるいは波多野爽波《鳥の巣に鳥が入つてゆくところ》 を下敷きとして、パロディ的な(パロディとは言っていない)ありようをもって、微笑を誘う、というところに落ち着くのではなく、怪奇めいた印象を醸しだすのは、どうしてだろう。
作者が狙いどころがソコだからか、あるいは同時に並んだ数句がつくりだす脈絡からなのか。でも、そうとも言い切れない。この句一句のみでも、ネタに回収されないニュアンスを含んでいる。
不思議。
(為念。微笑は、怪奇によっても、もたらされる。問題は微笑の源泉だ)
「鳥の巣」とは、ものごとの(硬い言い方ですが)結節点のような場所です。そこに、裏切りや不明の視点があると、ものごとの流れ全体が奇(あや)に変成する。
句が奇譚のかけら(重要なワンピース)として機能しているのかもしれません。
【追記】
この句、映画の惹句のようかというと、「そんな映画、誰も観ないって!」だし、格言のようかというと……ちょっとその気味はある。西アフリカあたりの。
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