2015/05/23

■『関西俳句なう』にまつわること・追補

『関西俳句なう』についての記事。

http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2015/05/blog-post_9.html

↑これね。

これを読んだ島田牙城さんから、「版元/版元の担当編集者」に触れないのはなぜか?といった疑問、というか質問がありました。

フェースブック上のことだったので、フェースブック(自分のページは非公開設定)で答えました。

しかしながら、考えてみると、 それを読んだ方がオープンな場で、その内容に言及する可能性もあります。その場合、元の私の文言がクローズドなままだと、いろいろと誤解を招く危険性もあります。そこで、このブログにも再録(一部調整・加筆)しておこうと思います。

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たしかに私の記事は「版元/版元の担当編集者」は触れていません。思い返してみて、触れなかった理由はいくつかあります。

1 レビューでネガティブな指摘をするとき、責任の所在を追及したいわけではない

「誰が悪い」という話ではなく、「『関西俳句なう』は、ここがへんだよ」ということを書きました。「ヘン」の元がどこにあるのか、つまり、(記載のない)編者なのか、周囲の船団関係者なのか、版元なのか、わかりませんし。

書籍に触れるとき「人」や「組織」にフォーカスする必要もないでしょう。例えば「装幀、どうにかならなかったのか」という感想や指摘は、書籍に向けて書けば いい。なぜ、そんな装幀になったか。そこには、装幀家も関わっているし、その装幀にOKを出した担当編集・版元も関わっています。レビューを書く人間は、制作の分担など(憶測はできても)わからない。誰に問題があったか(逆に誰が良い仕事をしたか)は結局は制作側の事柄です。

2 『関西俳句なう』で版元が決めたことはあまりなかった〔憶測〕

この出版はおそらく版元から持ち上がったものではない(いわゆる自費出版かそれに近い形)。そのとき、版元にそれほど決定権はなかろうと思います。

ここで、牙城さんは「そんなことはない」とおっしゃるでしょう。記事でも《いい本にする方向修正》ができると書いていらっしゃる。そうかもしれません。でも、《方向修正》は、誰がしてもよかった。でも、誰もしなかったから、こうなった。制作過程を遡って、こうしたらよかったのに、ということは言えますが、「誰が」という部分は、こちら(読者)にはわからないし、読者が言及する問題でもない

3 編集の専門家でなくても気づくべきことがある

本全体の基本スタイル、基本設計、すなわち〔船団13名+外部13名+船団先輩俳人諸氏によるミニエッセイ多数〕を「船団」と記さずに1冊の本にしたというスタイル・設計。そこに問題があることは、編集の専門家が指摘するまでもないことだと思います。


以上が、私が版元や担当編集者に触れなかった理由かなあ、と思い返していますが、加えて、ひとつ。『関西俳句なう』に編者名がないのを見て、まず思ったのは、版元(本阿弥書店)が「よく許したなあ、これをよく受け入れたなあ」ということでした。

ちなみに、関悦史さんが指摘していますが、国立国会図書館の公式記録にも「著者」「著者標目」がない。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I026248727-00



以下は余談です。

編者(編集実務を担当する編集者ではなく、編者)は、別に設けるべきだったのではないかと思います。『関西俳句なう』がアンソロジーであるなら、編者が自分(たち)を入集させるというのは、あまりカッコウのいいものではない。つうか、かなりカッコ悪い。

そんなこともあって、『関西俳句なう』については「アンソロジーと考えるからおかしなことになる、アンソロジーじゃないと考えることにしよう」と思うようになりました。じゃあ何なのか?と問われると困ってしまうのですが。



ついで、この本の基本構造、2人の作家が対になるという部分。これはいいとして、往復書簡は、実際に読み始めてみると、かなりキツい。ここはすっ飛ばして、俳句だけ拝読することにしました。

このスタイルは、褒め合うと読者はドン引きするし、シビアに批評してあったらあったで妙な緊張感を強いられる。企画としてきわめて難しい。無理があるのだろうと思います。

「俳句は誰にでもつくれる」という俗説に、俳人の多くは(少なくとも自分の句を広く発表しようという俳人の多くは)なんらかに反発をおぼえるようです。ならば、「散文は誰にでも書ける」と思わないことです。これらはすべて自戒をこめて。



最後に、帯の惹句から始まる関西ローカリティのことや「在京感」のこととかについては、さしあたり無関心であることを申し述べておきます。

関西? 東京? 知らんがな。

俳句をやっていくうえで、そんなことの百万倍こだわるべきことが、ほかにあると思いますけど?


て感じかなあ、と。


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