『週刊俳句』は電網に漂う不定形のメディア。
だなんて、インターネット草創期のヘタなコピライトみたいなことはさておいて、このところ話題になっている「在京感」について、あまりピンとこない、というか、どうでもいいようなところがあることは、前に書いたのですが、 こんな(↓)、週俳の紹介記事のような記事も書いていだたいて、
曾呂利亭雑記「在京感、ていうか。」
http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/2015/05/blog-post_3.html
多謝。
寄稿はいつでも大歓迎なんだから、という部分、特に有意義な指摘です。
週俳を読んで、他人事みたいに言ってる場合ではなくて、明日にはあなたも書き手となって、週俳の(重要な)一部を為すわけです。週俳の当番(運営)はコーディネーターみたいなもので、コンテンツは、みなさんがつくっているのですよ。
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曾呂利亭さんの記事には、あれれ?という箇所もあります。
《関悦史に影響うけた小津夜景、柳本々々》 そうなんですか。初耳。
《先に記したとおり週刊俳句にはある種の「カルト」的側面があると思われるので》 ねえよw
もちろん、
《週刊俳句だって(…)一部の人に「無闇に信奉」されている対象、にみえうるということ。》
は承知しております。一方、
《一部の人に「無闇に嫌悪」されている対象、にみえうるということ。》 もじゅうじゅう承知。
ところで、わかっていない・知らない、わかっていないふりをする・知らないふりをする。この2つは見た目に同じです。週俳みたいなものを運営するには、後者でいいんですよ。
ちなみに「権威」という語については、人によって使用する脈絡が違いすぎて、議論が嚙み合わないので、言及はしません。 ちょっとだけ言うと、信用・信頼を保証する権威は、必要でしょうし、週俳は、ある程度備えているでしょう。一方、いわゆる権威主義と結びつく権威ということで言えば、そんなものはない。運営の人たちには、そんなものにかかずらう暇はない。楽しんだり、納得のいく(広い意味の)仕事をするのに忙しい。「本人たちはそうでも権威主義的だよ」と言い出す人もいるかもしれませんが、そこまでめんどうは見きれない。
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《「東京がなんぼのもんじゃ」で対視(あえて敵対視とはいわない)されている「もの」が、週俳のような限定的で流動的なメディアでは、あまりに気宇が小さい。》
これはおかしな記述。『関西俳句なう』という限定的(地域限定。また党派的とまでは言いませんが参加者限定)な出版物と週俳とは、世界が違うのですよ。やろうとしていることのレベル(層)が違う。週俳は、この出版物に「なんぼのもんじゃ」と言われるほど小さくない。
曾呂利亭さんのこの文言に続く《もっとありますでしょ、「東京」のもつ権威的なもの。》は、そのとおり。「権威的なもの」がどこにあるのかは、冷静に見極めないとね。「見えない俳壇」かもしれないし、草の根かもしれないし、「関西俳句」へとみずからをカテゴライズする若手俳人の心の中かもしれない。
というか、惹句「東京がなんぼのもんじゃ」の「東京」と週俳は、結びつきようがない。どうしてこうなっちゃったんだ?w
「週俳=在京感」という、どなたかの淡い印象を、福田若之くんがわざわざ拾い上げたのがきっかけだろう。福田くんが悪い。《一方で、『週刊俳句』が、「東京」の一部をなしているという認識が生じる可能性は(これは『週俳』側の問題として)、ありうるのかな、と。》と思うのはもちろんかまわないのだけれど、その対処について、私はあまり力になれない。そこのところを問題視していないので。
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でね、週刊俳句について、いろいろな人がいろいろなことを思うのは、そりゃ思うでしょう。週俳が人々の目にどんなふうに映っているのか、当番として興味・関心がまったくないわけではないけれど、正直、どうでもいいかな、と(他の当番のことは知りません)。
ウソだろ?と思う人がいるかもしれませんが、ホントです。考えてもみてください。人がどう思うかなんてことを気にしていたら、8年間、420号も続けられませんて。
3 件のコメント:
どうもどうもw。
いやほんと、なんでこんな形の盛り上がりになってるのか、不毛なような根深いような。
>ところで、わかっていない・知らない、わかっていないふりをする・知らないふりをする。この2つは見た目に同じです。
ふむふむ。やっぱりなーという感じですが、まあ指摘するのも無駄ではないかなと。お互いさまですね。
>週俳は、この出版物に「なんぼのもんじゃ」と言われるほど小さくない。
あ、このへん認識が違うのですよね。
以前、磐井さんともやりとりあったやに記憶しますが、私はネット情報はいつ消えるか編集されるかわからない、不安定なメディアと思ってます。
また、実際にはwwwで世界を相手にされているにもかかわらず、実際には意外に狭い範囲でやりとりされがちなメディアだとも。
だから書籍への信頼感みたいなものが、あるのですよね。ありがたいことに一応全国で流通してるみたいですし。
>福田くんが悪い。
やっぱり福田くんのせいか・・・w!
不毛な盛り上がりw
「福田くんが悪い」を今年の自分的流行語にしようと思います。
週俳が「小さくない」のは、ネットとか紙とかということとは無関係。
とはいえ、ネットと紙のことも、また書くかもしれません。コメントか記事かはわかりませんが。、
追記
ネットにおける読者の広がりについては、私も、楽観的ではありません。
ありがたく感じるのは、ひとつにはアーカイブとしての使い勝手の良さ、ですかねえ。
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