となると、『週刊俳句』の「「在京」感が高い」ということは、『週刊俳句』が少なからず観念としての「東京」、すなわちひとつの中心に近づいているということにもなる(…)天気さん、そこらへん、どうでしょうか(と急に名指しで振ってみる)。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2015/05/419_3.html
そうは思わない。
中心って、嚙み砕けば、「俳壇(ぷっw)」とか?
週刊俳句は、ぜんぜん中心志向ではないし、「俳壇(ぷっw)」にも関わっていないね、実際のところ。
だいいち、俳壇の「外」、俳句業界の「外」の人たちが週刊俳句の当番をやっていますしね。
上田信治さんにしても、村田篠さん(捉え方はむずかしいけれど、「魚座」色・「雲」色が最近薄まり「月天」色に戻った)にしても、私にしても。
現状のメンバーでは福田若之くんがもっとも「中心」ぽい。
中心と周縁でいえば、やはり周縁的でしょう。
●
「東京がなんぼのもんじゃ!」 と言われても、ねえ。その惹句が出てくるローカル性は理解できますが、何かに「対抗」して俳句するという発想がない(私にも週刊俳句にも)。
『関西俳句なう』さん(書籍を「さん」付けした。画期的だと思う)には、「せいぜいお気張りやす」としか申し上げようがない。
週刊俳句は、気張らない、がんばらない。そこ、美点だと思うのですよ。週俳の。
「対抗」も「敵」もない。
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週俳は「在京感」が強いと言われても、「ふうん、そうなんだ」が実感。「後記」なんかでリアルの話題を書いたとき、東京の話題(住んでいる場所の近くの話題)になりがちなので、東京の感じになるという程度のことだとは思いますが。
で、福田くんさあ、八王子住みのキミと府中住みの私としては、帯に
「港区がなんぼのもんじゃ!」
とでも大書しましょうか、この際。
(どの帯だ?)
【関連過去記事】週刊俳句はなぜここから始まったのかという問題
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2015/04/blog-post_9.html
8 件のコメント:
こんにちは。応答ありがとうございます。
>現状のメンバーでは福田若之くんがもっとも「中心」ぽい。
げげっ、まぢですかっ!?
僕は全然「中心」じゃないつもりでいたし、(こう書いちゃっていいもんかどうかわかんないですけど)「中心」にはなりたくないなあと思っているクチなのですが……。
それにしても、
>「港区がなんぼのもんじゃ!」
って(笑)
港区なんですか、中心は。千代田区とかじゃなくて(笑)
最後にちょっとだけマジメなことを書くと、個人的には、(『週俳』うんぬんよりももっと一般的な話として)中心と周縁の二項対立のなかで何らかの役割を果たすことよりも、その二項対立の解消(たとえば弁証法的な)や惑乱(たとえば脱構築的な)のほうに、ずっと強く興味をそそられるのです。←まあ、これも気張りすぎでしょうかね。
いちばん中心っぽいでしょ。出自も現状ポジションも。
(比較の問題だけど)
>港区なんですか、中心は。千代田区とかじゃなくて(笑)
ちょっと変化させて芯をずらさないと。俳人なんだもの。
それに、黴の生えた中心=空虚論に乗っかりたくないし(おっと、福田くんディスり)。
>まあ、これも気張りすぎでしょうかね。
いいえ、ごくごく真っ当で健全な知性だと思いますよ。
バリバリの関西人としては、
関西の対義語はフランスのパリ、
またはアメリカのウォール街だと思う。
電脳投資家集団世界中蝗 関悦史
突っ込みが利いた良い句だと思う。
関西の同義語は、まぼろしの九龍城だと思う。
すみません。土下座。
>それに、黴の生えた中心=空虚論に乗っかりたくないし(おっと、福田くんディスり)。
ううっ、ディスられてしまいましたか。あそこで中心=空虚論を持ち出したのは、誰かから横槍でロラン・バルトを投げてこられたりしたらちょっと癪だなという気分があったので、こちらから(予期されるやっかいな引っ掻き回しとして)挙げておくことであらかじめ封じておくという、いわば予防線に過ぎないつもりでした。要するに、僕としてもそれに乗っかってほしくなかったからこそああ書いたんです。たぶん、「この文脈では「中心」が空虚だとかなんだとか言ってみたところで問題の核心に触れるものでは全くありません。そのやり方はくだらない」とスッパリ書いてしまえばそれでよかったのですが、そうしなかったために「黴の生えた中心=空虚論」を僕自身が持ち上げて援用しているように見えなくもないですね。書くのはむずかしい。
ひとのブログにずかずかと書き込みすぎるのもよくないと思うので、これくらいにしておきます。どうもおじゃましました。
含蓄。
「大阪人の起源は香港」説をかねてより唱えていた私としては、我が意を得たり、です。
しかし、あの本は四国の俳人まで入っていますから、『ふわっと関西らへん、なう』な感じです。
大阪人の行くところ、そこが大阪。(大阪の古い諺)
大阪人が相手を同胞か否か判断する基準は唯一つ。
大阪弁を喋れるか否か。
たとえ、蛸型宇宙人であっても、
大阪弁を喋れれば同胞と見なします。
手毬唄西のことばに溺れけり 伊沢惠(句集「桜の岸」)
福田くん
>ひとのブログにずかずか
ええんやで。
竹岡さん
母語が文化的(民族的)指標になるのは、どこでも同じですね。
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