ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
春はすぐそこだけどパスワードが違う 同
…あたりだろう。
どちらも人気が高い。この2句だけ見ると、「海程」あたりのライトヴァース作家(こしのゆみこさんが代表格?)の系統と受け取られかねない。そこに「青春性の横溢」(≫http://misimisi2.blogspot.jp/2012/01/blog-post_09.html) をプラスした感?
あるいは、
君はセカイの外へ帰省し無色の街 同
文化流行としての「セカイ系」の俳句的発現。例示に向いている。「ゼロ年代」だとか「テン年代」だとか、「それって単に製造年月日の話なんでしょうか? 句の内容やスタイルはどうでもよろしいのでしょうか?」な「文芸評論」に、稀有な好例として寄与する一句。
ただ、作り上げられつつあるみずからの「作家像」に抗したくなるのも、この人の特徴のようです。
「小岱シオンの限りない増殖」:週刊俳句・第379号(2014年7月27日)
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/10_91.html
他人のなかの自分を、「そうじゃないとこもあるんですけどー?」と崩していくのは、とてもいいことだと思う。
「このあいだ知り合った人から、今何してる? ってメール来て、めんどくさかったから、細胞分裂、って返したら、なんか話が続いちゃって」
鏡にぶつかる小岱シオンと玉虫と 同
まあ、「青春性」はまだとうぶん残しつつ、のようではありますが。
いろいろな福田くんを、たくさん読んでみたいという読者がすでにいるだろうし、これからも増えるだろう。
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それにしても、小岱シオンと名づけられた言語的事象、またの名を虚構は、よく出来ていて、楽しめた。《彼女》は、どこにもいないこと(非在)によって、どこにもいる(遍在)。このシンプルな仕掛け(例えば、神)は、初音ミクも連想させる。
〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より
1 件のコメント:
昨日の句会では自分でも不思議な程点が入ったのですが、
小波や河鹿の声のシオン園 葉月
は無点でした。だからどうしたという話ではないとは言え、自信句ほど点が入らないというのが句会を止められないひとつの理由なのかもとかふと思います。ええ、そういったものですとも(ペンギン及びオオアリクイ)。自分でも何言っているのかわからん。
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