なぜに、俳人と南こうせつは、妹といえば決まって「妹よ」なのか?
そう語ったのは歌人の佐藤りえさんでありました(≫こちらのツイート)。
そうですよねえ。
ただね、《妹よ淀は砂漠の水車・鈴木六林男》とか《切(きれ)に包めば山脈となる妹よ・攝津幸彦》とか《いじめると陽炎になる妹よ・仁平勝》とか、おもしろい句もあるんですよ。
一方、妹という「虚構」は、もっと広い文脈。妹が虚構的に、独特の願望やリビドーで語られるのを頻繁に見聞きしたことがある気がすします。
で、ですが、妹についてこれ以上何か書きたいというのではなく、「兄」の話です。
金太郎飴をポキンと暗い兄 古谷恭一
『川柳木馬』第140号・第141号合併号(2014年6月)にこんな句を見つけ、兄ってなんだか悲しいな、と思ってしまったのです。
少し俳句から拾ってみると、《かげろうのどこを摑めば兄還る・成清正之》など、先立つ兄の膨大な句群のほか、
致死量の月光兄の蒼全裸 藤原月彦
これは超有名句ですね。あるいは、
鮎よりも冷たし兄のサキソフォン 渋川京子
とか、
憂鬱の長薯はわが兄なりき 四ツ谷龍
とか、
腰高の兄よ水母を海に飼い 池田澄子
とか、
雛段を担いで兄はふり返る 柿本多映
とか、おもしろい句が多く、どれもそれぞれにカナシミをたたえているような気がします。
そんななか、
松虫や兄は潜水艦乗りだ 相原左義長
雪だるま兄は潜水艦だった 相原左義長
こんな突拍子もない2句も見つけた。
だいたいにして、潜水艦乗りなのか潜水艦そのものなのか。「どっちでもおんなじでしょ」というステキな答えを想定しつつ。
季語(松虫、雪だるま)も、ワケがわかりません。
相原左義長。
ちょっと読んでみないと、ですね。
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