2014/07/27

■「あれ?」という感覚

柳本々々(やぎもともともと)さんに『けむり』の一句について書いていただいています。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/blog-post_9921.html

このペンネーム、かなりステキじゃないですか。というか、意表つかれますよ。「本々々」。

で、これ(というのは、句集に触れていただいたこと)は、たいへんありがたく、また、自分のまったくうかがい知れぬところで、この句集が読者に出会っているという点で、驚いてもいます(句集の読者可能性は、悲しいことに贈呈先の範囲をはみ出して広がるることがあまりない)。

ご自身のブログでも、記事を紹介されているのですが…

http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-148.html

「数ページの哲学あした来るソファー」という句をみたときに、あれ、俳句って〈わたし〉をめぐるシステムとしても機能しはじめているんじゃないかとおもったのです。

不思議なことですが、思い返してみると、私自身にも、まったく同じことが言えるかもしれません。

というのは、この句をもって俳句を始めるまでにも、俳句には何度か触れる機会があった〔生業で歳時記の再編集、知人だった雪我狂流さんがご自分の結社誌掲載の句をまとめたいと事務所にお越しになり、私は句を入力し、ページメーカー(インデザインの前身)でページに組み上げ、プリントアウトした〕にもかかわらず、自分で俳句をやろうとはまったく思わなかった。

ところが、たまたま句会の端っこに坐ることになり(詳しい事情は「あとがき」をどうぞ)、この句とあと2句を作ったとき、私はきっと、「あれ?」と思ったのですね。この「あれ?」は柳本さんの「あれ」と同じだったような気がします。

自分とはまったく無縁と思っていたが、あれ? そうじゃないかもしれない。

そこから延々、俳句をやっている、というわけです。

(あ、それ以降、たいていは季語を入れましたよ。いわゆる有季定型がもっぱら)




【追記】
ハードウェア(造本)にも触れていただいた記事↓↓↓
〈けむり〉を成立させるマテリアルをめぐって
http://ameblo.jp/motokichi26/entry-11896529389.html

こちらも贈呈の外。望外の喜び。

「御前田あなた」という筆名も「ナイス」と感心しています。 すでにいろんなところで注目されている書き手です。






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