このところ「口語俳句」といわれているものの「口語」とは、私からすると「口語体」ではなく「おしゃべり体」とでもいうべきもの。
なんか、話が、私のアタマんなかと嚙み合わないなあ、と思っていたのですよ。
「おしゃべり体」あるいは「会話体」(造語ですよ、為念)。
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で、金原まさ子さんは、文語体と口語体(と「おしゃべり体」)を自在に自由に駆使されているように思うので、「おためし小皿料理 munu degustation」(『豈』第56号・2014年7月)からピックアップ。
春陰の綴じ目綴じ目のかんぜより 金原まさ子:文語体
見えるので葱のむこうを視てしまう 同:口語体
あさってからわたしは二階の折鶴よ 同:おしゃべり体
ついでに(というと失礼だけれど)、小津夜景「庭を横切る影」より。
けふ還り逢ふとも知らで黴の家 小津夜景:文語体
うつせみの手に阻まれた椅子がある 同:口語体
と、まあ、いちおうラベル付けをしてみましたが、どれも好きな句。
(この「庭を横切る影」は充実ですね)
ちなみに、『豈』の金原まさ子さんのページ(p16)の対向ページ(p17)には小津夜景さんの「ジョイフル・ノイズ」20句。1と2に分けられた10句ずつは、ぞれぞれおおまかに文語体(的ノリ)と口語体(的ノリ)に区別されているようにも読める。
眠り男の皿に不屈のゼリーかな 小津夜景:文語体
人生のすべてが白玉にもどる 同:口語体
で、
短夜のエレピは捩れあっている 同
…は、ちょっと「おしゃべり体」かな。エレピ(エレクトリック・ピアノ)なんて略語が使われているし。
ゼリー状の睡眠。
魂のかたちした白玉。
こちらも「おためし小皿料理」ですな。BGMはジャズマンがバイトで弾くエレピ。
と書いているうちに、口語体とか文語体とか、どうでもよくなっちゃった。ごめんな。
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