(フクシマ忌とか原発忌とかも、そこに入れていいのかな)
その手の忌日については、俳人さんにも一般にも、いろいろな捉え方、考え方があるようですが、私個人は、見るのもイヤ、という感じです。吐き気がするとまでは言えないけれど、そうとうな嫌悪感。
理由? 理由は、よくわからない、というよりも、理由について解きほぐしたり説明したりする気がない。「ことばの運動神経」「勘」のようなものです。
そう言うといいかげんなようですが、ことばにかかわるとき、まずそこに頼るしかない部分でもある。自分の運動神経や勘を信じるしかないわけです。
2 件のコメント:
天気さんほどではないですが、私も感覚的に近いものがあります。
以前ある超結社句会(もちろん豆ではありません)の席題が「原爆忌」だったときはさすがに出句しませんでした。
朝比古さんは初めてお会いした頃の吟行(埼玉)で原爆関連の施設に立ち寄ったとき、自制のはたらく人だなと思いました。句作ではなく、句を作らないこと=沈黙でまず現実に対面しという態度。よく憶えています。
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