某日、府中のシネコンで『ゴジラ』(2014年/ギャレス・エドワーズ監督)。
原水爆実験のニュース映像(アレンジ)の始まりは期待をもたせるのに、すぐに「大丈夫か、この映画」という気になる。
出てくる俳優は全員がなぜか安物感を纏う。見た目、存在感、演技、どれも悪い意味のマイナー感。「インセプション」では「ほぉ、なかなかいけるやん」だった渡辺謙も冴えない。あのジュリエット・ビノシュもこんな役どころで出なきゃならなくなったのかと涙。「キックアス」のあのオタク若者が兵士らしい筋肉をつけ、俳優の肉体改造はやっぱり凄いとは思うものの、魅力はナシ。
冒頭の原発事故シーンはかなりツラい。まだ3年しか経っていないんだもの。
パニック映画に「家族愛」は付き物とはいえ、なんだかかったるい。
日本がパニックになったら、駐留米軍がこんなにも幅を利かして、治安をコントロールするのか? 自衛隊や警察はなにやっとるの? 安全保障上、日米安保条約上、それってどうなのだ?
太平洋上の水爆実験は、実は実験ではなく怪獣を倒す攻撃だった、というのは、いくらなんでも都合よすぎませんか? とか、壊滅状態の街を兵隊さんたちが走り回るのはいいのですが、小銃を抱える必要はあるんでしょうか?(持ってないと様にならないのか)とか、放射能を食べる怪獣に核兵器を使うって、米軍司令部、どこまでバカなんですか? とか、いろいろとあきれます。
そんなこんなで、もう帰りたいのですが、ゴジラを観に来たんだから、ゴジラを見るまでは席を立てない。
「はよ、出てこい」「はよ、暴れまくれ」
ところがなかなか出てこない。ちらっと姿は見せるが、きちんとは登場しない。これはつまり、じらし(ティーザー)作戦なのだ。
そして、やっと、全貌を見せるゴジラ。
でかっ!
その感想しかない。すばらしいデカさである。
で、悪者の怪獣「ムートー」と戦う。
(余談ですが、禍々しい化け物の外観は「エイリアン」以降、その線で確定してしまったんですね)
戦うと、ゴジラ、強い強い。
口から凄いものを噴いて、とどめをさす、その瞬間は、ぷっと吹いて笑ってしまう。可笑しいのではない。カタルシスの笑い。
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結論的に、ゴジラ、最高!
前半のかったるさも、全篇を覆い尽くすポンコツ感も、すべて、ゴジラの素晴らしさを際立たせるため、と納得する。
というわけで、どれもこれもダメダメななか、ただゴジラの存在だけがほれぼれするほど光り輝く、という奇跡のような映画でした。
劇場で観て、損ナシ。途中から入っても可。
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