この句、「の」は要りませんね。
ほんとうはこういうことこそが大事なのですが、話題になっているのは、そういうことではありません。
公民館だよりの俳句コーナーへの掲載を拒否されたという話。新聞記事によると、「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」というのが公民館側の説明だそうです。
意見? この句がある特定の意見を表明しているというのは、奇異な感じです。
「九条守れ」の女性デモをこの作者は「見た」。それだけの句です。ふだん俳句を読んでいる者からすると、ここに意見を見出すのは無理がある。この句は「九条を守れ」とも「改憲せよ」とも言っていない。
例えば、句会でこの句があったとして、九条への反対・賛成、反戦・好戦という、「意見」の側面が話題にのぼることはないでしょう。前述の「の」のことや、「に」でいいのかどうかを検討したり、梅雨空とカギ括弧の内容でデモとわかるから、下五の「デモ」の2音は重複(ムダ)だろうとか、そういう話にはなっても、、政治信条等の話にはなりません。
「九条守れ」といった政治的なフレーズが句にあったとして、そこに特定の「意見」を読み取れた気になっても、それは読者の勝手な読みであることが多い。
とはいえ、政治的なモチーフは、オートマチックに「意見」「信条」の如何へと、読みが向かってしまうのも事実なので、このへんは厄介です。
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一般に、意見をストレートなかたちで俳句に盛り込むのは、難しい。不可能ではありませんが、俳句は、そういうことに向いていない。標語・スローガンに季語をくっつけたものなら、その限りではありませんが。
それに、です、字面どおりに意見・信条を読み取っていいものかどうか。そのへんはぞんがい難しい。
俳句は(さらには、ことばは)、幸か不幸か、そんなに単純なものではないようなのです。
戦争はぜつたいあかん水羊羹 10key
2 件のコメント:
「九条」を「くじょう」と読ませるといろんなことが解決するような(つまらんことばっか言ってすみません)。
九条葱(冬の季語)を守れという、京都のおばちゃんたち、あるいは和食グルメの人たちのデモ、という読みも考えたのですが(ウソです)、それは無理がある。
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