2018/01/20

■あほらしいことを言ってる俳句がよろしいです




文語体やら歴史的仮名遣いにかぎらず、俳句が備えている定型とか音数とかは、「あほらしいこと」を言うのに最適(と思ってます、私は)。

「あほらしいこと」に加えて、寝言みたいなこと、呆けたことetc。

逆に、もっともらしいこと、えらそうなことを言おうとすると、さらには、それでこけたりすると、すごく恥ずかしい。もう立ち上がれないくらい恥ずかしい。俳句という形式は、そんな形式です。

2018/01/19

■昆布のこと 『晴』創刊号より

私は素直なので(バカとも言う)、句に書かれていることをそのまま像にする〔*〕

かんぶにもこんぶにもよくいいきかす  広瀬ちえみ

だから、こんな句だと、かんぶ(幹部)はともかくとして、こんぶ(昆布)によくいいきかせている図をありありと想像して、おかしくてたまらなくなる。

この場合(私の場合)、こんぶが家の中(事務所の中)に横たわっている。海の中でいいきかせている図ではない。句の前の位置に「幹部」があるからだと思う。

もちろん、昆布には聞こえない。だから、反応もない。


なお、いわゆる言葉遊び(シニフィアンの戯れ)においても、律儀に絵・像・図を思う。

ついでにいえば、慣用句においても、絵を思い浮かべる。例えば、「脱帽です」と書いているのを読むと、書き手が帽子を脱ぐ絵を思い、どんな帽子かを想像し、可笑しくなって笑いそうになることがある。

掲句は、川柳誌『晴』創刊号(2018年1月15日)より。


〔*〕像を結ばない句もあるにはある。例えば、作者の思い+季語、警句・標語+季語みたいな句は、像を結ばない。したがって、関心も興味もあまり起きない。


2018/01/18

■書かれていないことを読み取った者勝ちの世界

 承前≫■書かれていることだけが、そこにある

だいぶ前に、歌人さんたちも参列する変則的な歌会・句会に出たときのこと、合評になって、俎上の短歌について、象徴作用や隠喩を(かなり無理筋で)読み取り「隠れた意味」を滔々と語るのを見て、それが歌人一般のスタイルとは思わないにせよ、「こりゃだめだ。私にはムリ」と思いましたよ。

ムリというのは、いろんな意味。

「書かれていないこと」をどこまで推理(?)分析(?)できるかが鑑賞・批評の勝負であるかのごとく、力(りき)の入ったその語り口を目の前にして、「ああ、俳句でよかった、自分は俳句がいいや」と。

俳句の領分防衛とか俳句への帰依に聞こえたら、心外ですが、俳句って潔い、と心底思ったのですよ。

(短歌が潔くない、とは言ってない)(その方だけのスタイルかもしれないですしね)


俳句は、ぜんぶが蓋で出来ていて、すべての蓋があいている、と言いました(≫こちらの過去記事)。それは、隠された意味・書かれていないことを、読者が見て取る構造ではありません(もしそうなら、俳句は、中の見えない箱)。あけすけで、どこからも、どの読者からもまる見えということ。読みは多様になりますが、それらはすべて、そこに書かれていることなのです。


2018/01/17

■書かれていることだけが、そこにある

俳句をつくるとき、象徴作用や隠喩〔*〕が働かないようにしている、と告げても、理解してもらえない人に、さらに、どう説明すればいいのか。これはかなり難しい。

俳句は、書かれていることだけが、そこにある。書かれていないことは、そこにない。それが俳句の潔さ。そう思うから、俳句を続けている。

こう説明しても、きっと納得してもらえない。彼ら/彼女らは、《書かれていないことを読み取る》ことこそが、良き読み方であると信じているので。


〔*〕見立てとして機能する隠喩を除く。

2018/01/14

■〔わかる・わからない〕はどうでもいいこと

 言葉にならないもの、言語化や概念化をすりぬけて入ってくる「入力」だけが、人を「いっぱいいっぱい」にすることができる。
 だから「分る句」「分らない句」の区別などは、人の感動にとって、わりとどうでもいいことだ。分るも分らないも、表玄関の話であって、言葉にならないものは、いつも、裏口を開けてかってに入ってくるから。

上田信治 成分表 18 あふれる

承前
■私の彼はわからない いわゆる難解句の周辺
■俳句に「そのココロ」を求める人たち