2017/11/21

■うごく福田・しゃべる若之

『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。

苔的に九月の雨に自生する  福田若之

第一句集『自生地』刊行でますます注目の高まる福田若之さんのイベントが相次ぎます。

11月25日(土)のこれとか、12月3日(日)のこれとか。

週刊俳句では刊行記念インタビュー3本。音楽、本、アートと、福田若之がぞんぶんに語っております。

1 歯ギターは序の口なんです。そのあと火つけるところまでいく。 聞き手:西原天気
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/1_10.html

2 しびれることです。感電すること。それと、本っていうのは物体です。 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/2_17.html

  ≫12月8日(金) 五味太郎と、俳句をこわす。

3 怪獣・色彩・低解像度 聞き手:小津夜景
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/09/3_23.html


2017/11/19

■文フリとか蒸しプリン会議とか

週俳、文学フリマへ。春に続いて出展。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/11/in.html

『塵風』バックナンバーとか貴重だと思いますよ(僅少出品予定)。高野文子インタビューとか、つげ義春の写真での参加とか、俳誌の範疇を超えちゃってます。

あと、『MANO』終刊号とか、福田若之『自生地』に付いてくるオマケの第二句集もね。

で、このまえの文フリ向けに「蒸しプリン会議」という小冊子が出たのですが、今回「秋冬」を鋭意制作中。今朝、自分ぶんの5句をようやくまとめた。

判型は前と同じB7判(てのひらサイズ)。仕様と紙質が異なります。

※下写真は5月に出た「蒸しプリン会議 2017春夏」


2017/11/17

■蘭鋳 『奎』第2号より

よちよちとらんちうの来て縁に沿ふ  クズウジュンイチ

そういえば、ランチュウは泳ぐというより水の中を這う感じがする。「縁」は金魚鉢の内側だろうか、あるいは水槽の底の置き物だろうか。ともかく、それに身を沿わせる。

状態・行動そのものを詠んで、キュート。さすが、金魚。何をさせてもキュート。

掲句は『奎』第2号(2017年6月)より。


2017/11/16

■『オルガン』は純文学



『オルガン』の句を取り上げると、オルガンの動画を載せられるので、うれしい(ヘンなうれしがりかた)。

楽器としてのオルガンにはいろいろあるのですが(演ってる音楽もいろいろ)、貼っているのはもっぱら、ソウル/ジャズ系。だからといって、俳誌『オルガン』がソウルフルあるいはジャジーかというと、そうでもない。

同人誌というもの、メンバーによって作風が異なる(結社誌のほうが均一でしょうね、道理的には)。だから、ジッパヒトカラゲにソウルフルとかジャジーとか形容詞をあてはまめることにはムリがある。それは承知しながらも、自分なりにざっくりその俳誌を言い表す語について思案したりする。でね、昨日、思いついたのは「純文学」という語。

『オルガン』って、純文学だよな。と、ひとりごちたわけです(声にはしません、アタマの中で)。

俳句全般、純文学とエンタメ(昔なら中間小説・大衆小説と呼ばれていた分野)という二極をもって位置づけることができるかもしれない。

もちろん洩れてくる句/作家、どちらなのか迷う句/作家もあるでしょうけど。

というわけで、『オルガン』は純文学。


では、エンタメに属する句は?

例えば、このあいだ週俳にレビューを書いた大野泰雄『へにやり』なんかが、そう(私の決め方です。いまさらの為念)。

あ、そうそう、サブカル的な句群は、純文学じゃないほう、エンタメに入れていいかもしれません。例えば、だいぶ前に週俳にレビューを書いた岡野泰輔『なめらかな世界の肉』


どれが良いとか悪いとかではなく、俳句は、豊かなバラエティーをもっているということ。

「俳句とはこういうもの」「そんなのは俳句じゃない」とか偏狭なことを言わずに、ひゃあぁ、いろいろあるなあ、ニコニコ、でいいんじゃないかと思います。

ラヴ&ピース!


『オルガン』ウェブサイト

2017/11/14

■案山子と死 『オルガン』第11号より

ぶさいくな案山子に思い出せない死  田島健一

案山子はたいがい不細工。田圃であれを見ると、なんだか悲しい気持ちになる。死もまた悲しい死が多いわけですが、その悲しみとは大きく違う。「思い出せない死」となれば、その悲しみは透明感を増す。こうとは言えない、いまひとつ自分でとらえられないという意味での透明。

ここにあるふたつの事物はおおむね対照的。助詞「に」が問題となるが、場所や所以を示す格助詞よりも、並列助詞(と=and)で読みたくもなる。前者で読むと、案山子の顔と死者の(思い出せない)顔がリンクしすぎるのだ。

掲句は『オルガン』第11号(2017年11月8日)より。