2020/08/07

■世の中〈12音+季語〉ばかりじゃないよ、という話:実証的に

≫承前
http://sevendays-a-week.blogspot.com/2020/07/12.html

12音をつくって、季語をプラス、という作句手順は、初心者向け、と言いました。実際そうなんですが、入門期を過ぎても、これ、やります。私た私の周りを見ていると、これをやらないという人はいない。誰でも、これ、やるんです。でも、これ一辺倒じゃないって話で。

12音をつくって、季語をプラス、という作句手順が広く普及しているわけですが、一方で、「え? なに、それ?」という人たちも、いるにはいます。そういう発想がない、という人たち。

例えば、「季題」との用語が身についた俳人(季語じゃなく季題ね)は、〈12音+季語〉という発想はしないと思います。季題/季語が先立つので。

とはいえ、出来上がった句は、季題の人たちと〈12音+季語〉の人たちとでそう変わらなかったりもする。過程は違うが、結果は似る、という現象。

季題の人(そんなことばないけど)以外にも、〈12音+季語〉の発想が薄い人たちも、きっといる。と、思う。

そこで、実際に、どのくらい、この〈12音+季語〉の手筋・指跡の見える句が、世の中に存在するのか。句集で見ていこうと思います。


〈12音+季語〉だらけの句集はたしかにあります。めくってみると、予想していた以上に多い、という句集が、ある。やっぱり、このパターンって、多いのです。

例えば、気持ちや境涯+季語、どこどこでなになにしたよ+季語、これってこういうもんだよね(概念化・うまいことまとめる化)+季語。言い換えれば、作者が言いたいことを言う俳句。言いたいことを12音にまとめて、季語が動員される(斡旋というやつです)。そういう句が多い句集ってのは、ほんと多い、とことん多い。おのずと〈12音+季語〉だらけになる。

一方に、そうじゃない句もたくさんあるはず。〈12音+季語〉パターンの少なそうな句集ということでメドを付けて、あたってみましょう。1ページ目から見ていきます。

あくまでメドなので、ドキドキしますよ。少ないだろうなと思ってページをめくったら、あらま、こんなに多い。ということになったら、どうしようって感じで、ドキドキする。

(なお、切れとの関係など、難しくて微妙な問題は置いておいて、語の構成・句の構造として、12音に季語がくっついた「感じ」の句を見つけていきます)

はい。まずは、関悦史さんの第2句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(2017年2月/港の人)。

ページをめくりました。なかなか出てきません。

8句目の《女児同士ほとに頭突きや花の中》という、刑法的にちょっと危ない句が、〈12音+季語〉といえばそうなのですが、それほど〈+季語〉っぽくはない。さらに読み進むが、これぞ〈12音+季語〉はなかなか出てこない。数十句読んで、ほとんどない、と言っていい。

これはもう、俳句の作り方(の道筋)が、〈12音+季語〉とはまったく別のところにあるということだろう。ちなみに、無季句はほとんどない(まったくないかもしれない)。

次。

田島健一ただならぬぽ』(2017年1月/ふらんす堂)。

いかにもなさそうな句集を選んでるな、と思ったでしょ? それはそうなんですが、わかりませんよ。意外に多いかも。

さて、行きます。

8句目。《目があるから独りになれずあまがえる》が形としては〈12音+季語〉っぽいですが、《あまがえる》からの発想のようにも思える。10句目の《爪切りにぐっとかたちのある薄暑》が、季語「薄暑」を〈斡旋〉したっぽいですが、純然たる〈12音+季語〉とは言い切れない。

結論的には、田島健一さんも、〈12音+季語〉の発想のない人です。きわめて、ない、と言っていいかもしれません。

次。

小津夜景フラワーズ・カンフー』(2016年10月/ふらんす堂)。

ぜんぜん出てこない。

無季句がちらほら混じるせいもありますが、〈12音+季語〉成分はほんと少ない。11句目《ぷろぺらのぷるんぷるんと花の宵》が、かろうじて「花の宵」斡旋っぽい。さらに読み進んでも、出てこない。

小津夜景さんは、俳句のキャリアが短い人ですから、ひょっとしたら〈12音+季語〉発想にまったく染まらず、俳句を作り続けているのかもしれません。

で、意外なことに、無季句がそこそこあるにもかかわらず、きほん、季語から出発している(季題発想)ような気がします。んんん、興味深い。


というわけで、3冊見てきました。

〈12音+季語〉といった組成の句をほとんど作らない(発表しない)という作家も、たしかにいることがわかりました。

関悦史さんは1969年生まれ。田島健一さんと小津夜景さんは1973年生まれ。ほぼ同世代の作家のそれぞれとびっきり個性的な句集でした。

〈12音+季語〉じゃない句が読みたいときは、この3冊をめくればいいです。


句集渉猟はもうすこし続けます。違う世代の作家も取り上げなくっちゃ、ね。

ラヴ&ピース!

(つづく)

2020/07/30

■〈12音+季語〉は入り口の一つに過ぎない(という当たり前のことを言っておきたくなった)

12音をつくって、季語をプラスして、はい一句、という作句の手順。

参考≫https://twitter.com/sorori6/status/1287568320737107968

初心者への作句のコツとして一般的なものらしく(私は教わらなかったが、これは年をとってから俳句を始めたせいもあるし、参加した句座にもよるのだろう)、ずいぶんと前から、また現在もたびたび話題にのぼるが、退屈な応酬に終わるようだし、実りのある議論にはならない(とりあえず単純なノウハウの話だしね)。

この話題で一点だけ、私が思う、というか、誰かに言いたいのは、俳句の愉しみ・俳句のコクは、その先にある、ということ。

これは誰でも思っているし、言うだろうけど、あらためて。

「こうすれば、ほら、俳句ができますよ」という「俳句入門」の指針として、《12音+季語》という考え方は有効だろう。実際、よくこういうふうに教える人が多い。けれども、それは入り口の一つに過ぎない。

入口付近で俳句を楽しんでばかりでは、もったいない。〈12音+季語〉のほかにも、作句の方法はあるし、読み方もある。その豊かさに触れず、入り口で盛り上がっているのは、もう一度言いますが、もったいない。つうか、俳句って、そうじゃないからね。そんなダンドリっぽいもんじゃないから。

ということで、この話題を終わらせてもいいのだけれど、ちょっと色をつけて、実際、〈12音+季語〉というパターンが、どのくらい浸透しているのか、一方、〈12音+季語〉じゃない句って、どんな感じなのか。それをちょっくら見てみようと思います。

(つづく)

2020/07/27

■侍はパンツの中にシャツを入れ・樋口由紀子 川柳 in『暮しの手帖』

『暮しの手帖』という雑誌。めくるのは数十年ぶりだと思う(はじめてではない。大昔に読んだことがある。実家にたくさんあった)。1948年(昭和23年)9月に前身『美しい暮しの手帖』が創刊されてから70年以上! すごい!

なんで手元にあるかというと、金井真紀の連載「はじめてのお楽しみ」の「その二」が「川柳」ってことで、樋口由紀子さんが案内人。『金曜日の川柳』の縁で、私にもご恵贈いただいたわけです。


金井氏の記事は軽妙で要点が手際よくまとめられている。例句も、いい(これ、だいじ)。樋口さんの似顔絵はあまり似ていない。今年の第7号(8-9月号)。おすすめ。料理のページが「身体をいたわる 夏の中国料理」とか「わたしのお昼ごはん日記」とか、かなり良さそうです。

2020/07/16

■可笑しくも不穏 『トイ』第2号より

算盤が置いてある洞窟の前  樋口由紀子

景として明瞭。だが、これ、事態として、不穏なのか、可笑しいのか、判断がつかず、きっと、どちらも、なのだろう。


『トイ』第2号(2020年8月1日)より。


2020/07/07

■白いもの

あかときの月より白く蟬生まる  北杜 青〔*1〕

鶴よりもましろきものに處方箋  八田木枯〔*2〕

世の中に白いものはたくさんある。そこから何と何を持ってくるか。

何と何なら優れた句になるのか、といった問題ではなくて、そこはもう、好みというか、作者の審美や心持ちと読者(私)がどう呼び合うかということだと思います。

どちらの句も、美しい。


〔*1〕北杜 青『恭(かたじけな)』2020年3月/邑書林
〔*2〕八田木枯『鏡騒』2010年9月/ふらんす堂