2019/08/30

■あむねじあ


納戸の奥から見覚えのない靴箱が…。あけてみると、見覚えのない靴が…。

こんなのいつ買ったんだろう? 1ミリも思い出せない。

買い物をたくさんする人なら、何を買ったかいちいち覚えていないでしょうが、そんなにモノを買うほうではない。

ううむ。

このあいだ、近くにあるロシア料理店に行ってみたい(ピロシキが食べたい)と嫁はんに告げたら、「むかし行ったよ」。

え? 行った? 1ミリも思い出せない。

そのときの写真もあるという。私が嫁はんを撮ったもの。その写真を見ても、なにも思い出せない。

どちらも、「ああ、そういえば」と、ぜんぶは思い出せなくても、記憶のかけらくらいは見つかるものだと思うが、それが、ない。

こういう話をすると、周囲も齢をとっているので、「そんなの、よくある話」と片付けられそうですが、自分では、納得が行かない。

原因として、ふたつ考えた。

1 脳の一部が壊れている。

2 ある時期、別の人間が「私」として暮らしていた。

2は、そのあいだ私はどこにいたのだ? という疑問は残るが。


あ、そうそう。靴は、もうすこし涼しくなったら履こうっと。

ラヴ&ピース!

2019/08/28

■今井家の事情

今井家の墓を洗ひて疲るるよ  今井杏太郎

全句集から、まず引く句が、これなんか? と言われそうですが、こういう苗字の使われ方もめずらしい。

ほんと、疲れたんだろうな、と。

人を食ったような句は、じっさい多いのですが、そうとばかり言い切れないところもあって、ページをめくりつつ水を飲むような喉越しもある。こんなにすらっと読み進める「全句集」もめずらしいかもですね。

ラヴ&ピース!

2019/08/27

■火星

いろいろな場所(オフライン・オンライン)でカジュアルに句会が開催されていて、例えばこんなツイート。

https://twitter.com/sore_nan/status/1166106375929286656

赤い砂火星の夏休みが終わる

句会の途中だから作者の名はまだあいていない。

火星での出来事だとファンタジーだけど、「赤い砂」を地球上で目にしたと解せば、起こり得る出来事。おもしろい句ですよね。

ラヴ&ピース!


ウラハイ 火星

2019/08/22

■ピーマンと横田基地 関猫魚句集『昭和』

ピーマンの中まで静か月明かり  関猫魚

俳句世間/俳句業界でピーマンといえば《ピーマン切って中を明るくしてあげた 池田澄子》なわけですが、掲句は、音。

無音をピーマンの皮が包み、月光が包む。


関猫魚句集『昭和』(2016年3月20日/私家版)は2015年11月に亡くなった関さんの遺句集として句友諸氏によって編まれた。

関さんは、私が、また関さんが俳句を始めるはるか以前からの知人。長く付き合っていただいた。住処が近かったので、亡くなる直前もお目にかかり、それまでと同じような会話をかわし、同じように笑いあった。

一時期、関さんの店(喫茶店)を句会場所に使わせてもらったが、関さんが私たちの句会に加わることはなかった。それを別にしても句会をともにしたことは数度しかない。関さんがどんな句をつくっていたか、なんとなく知ってはいたが、こうして一冊の句集が私の手元に残され、まとめて句を読めることに感謝。

同句集より、気ままに。

低空のキチキチバッタ横田基地  関猫魚

火男のお面すらして缶ビール  同

高圧線グラジオラスの燃え盛り  同



2019/08/20

【お知らせ】8月のくにたち句会

2019年8月25日(日)14:00 JR国立駅改札付近集合

句会場所:ロージナ茶房(予定)

席題10題程度

初参加の方は、メール tenki.saibara@gmail.com電話etcでご一報いただけると幸いです。問い合わせ等も、このメールまで。

2019/08/19

【句集をつくる】第20回 サルヴェージ


ふだんつくった句の整理をぜんぜんしていない。几帳面な人はまとめて記録、例えばエクセルに入力しておくなどをしているのでしょうが、ぜんぜんしない。おまけに、パソコンではつくらないので(メモやら短冊)、ハードディスクに残っていることもない。

しかしながら、句会の折の清記、その複写はなんとなく残っている。部屋を片付けるついでに、かき集めた。ここから自分の句を原稿用紙に書き写していく。

ダメダメな句も含めてすべて書き写す。選んでいたら、その時間がムダなので、機械的に筆写する。捨てたり換えたりは、あとの作業でよい。

なかには「こんなのつくったっけ? ほんとに? 私が?」という句も(多々)あって、物覚えの悪いことです。

原稿用紙4枚ほど、書き写したところで、疲れた。あとはまた今度にする。体力・知力のないことです。

ラヴ&ピース!



作業中に聴いていたザ・トランプス。

このところまた、フィリーソウルばかり聴いています。

ドゥ・ザ・ハッスル!

2019/08/14

■続・金魚好き

散歩。七年前の。


2019/08/12

■Don't Follow Me, I'm Lost Too

大好きなパール・ハーバーのロックンロール・アルバムに「Don't Follow Me, I'm Lost Too」というのがあって(1980年)、「私についてこないで。私も道に迷っちゃってるんだから」といった具合。

前を歩いている人が道をわかって歩いてると思ったら大間違い。自分と同じく迷子だった、というのは、なかなか素敵な状況です。



むりやり俳句に持っていくこともないんですが、俳句というもの、作者がいつだってわけがわかってつくっていると思ったら大間違い。自分でもわからないような句に、豊かさがあったりしますから、数多くの「わけのわかる」句のなか、たまに出現する「自分でもわけのわからない」句にために、俳句を続けているようなもの、というところがある。

だから、読んで「わからない」という感想を抱いてしまったとしても、それをネガティブに捉えることもない。「作者はわかって作っている」という前提に立つから、私(読者)の「わからなさ」にとまどったりいやになったりする。

作者も読者も迷子、前後不覚でわけがわからない状態、とは、たぶんに理念的ですが、そういうことがあっても(いや、それだからこそ)、愉しいはず。

わかったもの・わかるものをはさんで、作者と読者が向かい合うだけの遊びだとしたら、ええっとつまり、俳句がね、そんなものだとしたら、すぐに飽きてしまうでしょう。たくさんのオトナがこんなに長く遊べるはずがない。

ラヴ&ピース!(ひさしぶり)

2019/08/11

■金魚好き

散歩。何年か前の。


2019/08/08

■冒頭集:本を集める

 本を集めるという発想は、日本では意外に古くから存在した。九世紀といえば平安初期の儒者で官僚だった滋野貞主(しげのさだぬし)(七八五~八五二)が、儒者仲間と諮って貴重文書一〇〇〇巻を集め、分類をほどこし『秘府略(ひふりゃく)』と称したが、間もなく散逸し、今日わずか二冊しか伝わっていない。貞主はまれに見る学識の持ち主で、かつ良吏でもあったため、毒瘡に斃(たお)れたときには時人のことごとくが嘆き悲しんだという。このような人柄であるから、国政に資するための文献収集を考えたのであろうが、いまだ理解者に乏しかったことは、簡単に散逸してしまった事実からもわかる。
紀田順一郎『日本博覧人物史 データベースの夜明け』(1995年/ジャストシステム)

2019/08/06

■冒頭集:パンク

 街道沿いの茶店に牢人(ろうにん)が腰をかけていた。
 晴天であった。
 牢人は茶碗を手に持ち往来の人を放心した人のように眺めていたが静かに茶碗を置いて立ち上がると、茶店に面して道幅が広がった広場のようになったあたりに生えた貧相な三本の松、その根元の自然石に腰掛けて休息している巡礼の父娘に歩み寄った。
町田康『パンク侍、斬られて候』2004年/マガジンハウス

2019/08/05

■レビューの日没



一句をとりあげることにそれほどの意義を感じていない点では私もそうだし、だいたいにして「鑑賞」という前時代的な態度が「批評」からはるか遠く後退した位置にあるものとも思うわけですが、それでも、一句について、書く。それは「紹介」ではあっても、「批評」ではない(繰り返し)。

水の被膜 辻内京子遠い眺め』の二句 ≫読む

三月のカブトガニ 加藤知子櫨の実の混沌より始む』の一句 ≫読む

意義の薄い雑文を、性懲りもなく、書き、週刊俳句に載せてもらっているのは、ひとつには、エネルギー的にも時間的にも能力的にも限界(かなりすぐに来る限界)があるということ。

その一方で、期待や望みはあって、それは、自分の雑文を読んだ人が、この句集を読んでみたいと思ってくれること。だから、引用句は最小限にしている。

そして、きほん、いいことしか書かない。ほら、批評じゃないよ、こんなの。

彼/彼女が、手にとる句集を、結果、気に入るか愛するかそれほどでもないか、そこまでは知らない・わからない。手にとるかどうかもわからないけれど、句集や句へとアクセスしようという気持ちが読者の中に1ミリでも生まれれば、私のレビューは成功といえる。

というわけで、来週号(8月11日号)にも、句集から一句をとりあげて書きます。

ラヴ&ピース!


2019/08/04

■湘子百句をぱらぱらと

小川軽舟『藤田湘子の百句』をぱらぱらめくって愉しむ。こういうものはアタマから読むものではないと個人的に思っているので、近くにおいてあるあいだ、ぱらぱらと。

愛されずして沖遠く泳ぐなり  湘子

が、26歳の作なのか、へぇー。青春回顧じゃなくて、ほぼ青春じゃないか!(すでにはんぶん回顧という意見のありましょう。26歳って年齢はどうなんでしょう?)とか、句の周辺情報もときとして愉しい。

ラブホテルなども眺めや鯉幟  湘子

とか。俳人協会をはじめとする俳句自警団の方々から忌み嫌われるカタカナ語、しかもラブホテル。湘子もその師・秋櫻子も「詩にならない卑俗な材料を好まないところがあった。(…)しかも湘子の嫌いなカタカナ語だ」と著者・小川軽舟も驚いている。「一日十句」の賜物らしいので、多作は、毀れる・毀す働きがあるのかも。とか。

酢海鼠や大阪女かはいらし  小川軽舟『手帖』

は、

坂東の血が酢海鼠を嫌ふなり  湘子

への応答なのか? とか。


△△の100句といった選集は自選を含めたくさんあって、分量的にも手軽。がっつり全・句集あるいは全句・集を読むのもいいけれど、エネルギーや時間には限りがある。CD・レコードでいうえばベスト盤も、いいものだ、と思うんですよね。

ラヴ&ピース!