2014/01/31

■1月30日生まれの人、誰か

一平さん  苑をさん  (   )  うさぎさん   
吾郎さん
 yuki氏

1月30日生まれが埋まれば、暗刻1つ+順子1つで、とてもすっきりするのですが。

ただいま嵌張待ち状態です。

2014/01/29

■句集を読むのはきほん楽しいのです

昨年末からこの一月にかけてわりに近しい人(あるいはそうではない人)の句集が相次いで刊行。手元にあってまだ拝読していないものもあります。

句集を読むのは好きです。

一般に俳句をやっているとふだん句会でいろいろな句に接するわけですが、それは句になる以前、というか、(前に書いたことがあるように)楽屋です。まだ舞台ではない。舞台に上がった句を読むのは、また別のことです。

句会で他人の句を読んでいるだけでは、〈俳句を読む〉ことの一部を経験しているにすぎない、という考えです。

句集よりも小さな舞台、例えばどこかの雑誌に10句なりを発表、これも、句集とは少し違う。句集は(古い句集、物故作家も含め)やはりその人の大きな覚悟があると思うので、読むほうも、他とは違うものととして読む。だからといってたいそうに力を入れる必要はありませんが。

 

句集について書いた記事は、

リトル・ホンダと小瑠璃 野口る理句集『しやりり』の一句
http://sevendays-a-week.blogspot.jp/2014/01/blog-post_17.html

住所:瓢箪の中、特技:痛飲 西村麒麟句集『鶉』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_5049.html

書いたものをどこに載せるか(このブログか例えば週刊俳句か)については、そのつど迷ったりしながら決めています。原則があるわけではありません。

近いうちに書きたい(何を書くのかというおおおまかな設計が頭の中にすでにある)のは、榮猿丸『点滅』と渡辺隆夫『川柳 六福神』。おそらく週俳に寄稿すると思います。

去年読んだ佐々木貴子『ユリウス』にもどこかで触れたいのですが、この句集、読んでいて苦しくなるというところがあって、その苦しさとどう向き合って書くか、そのへんを考えているうちに少し時間が経ってしまいました(レビューは、すぐ書くのがいいわけではないから、それはかまわないのだけれど)。この「苦しさ」についてはもっと説明が要るが、ここでは省略。

念のため言っておくと、読んでいて苦しいから良くない、というのでは、まったくない。句集から受け取るものは、いろいろです。読者としては、だから楽しい、ということですね。

2014/01/27

■特異月間のくにたち句会、無事終了

1月のくにたち句会は、この時期、誕生日が集中することもあって、ちょっとスペシャルな感じになる。

前の晩、「そうだ、プレゼントが要りますねえ」と。店はもう開いてないので、身の回りを見渡し、ああでもないこうでもない、と、誕生日の皆さんの顔を思い浮かべつつ頭を悩ます。

もっと早く気づいておけよ、店で買えよ、という話ですが、まあ、そこは、ね。で、結局、

川端康成『浅草紅團』永晃社版(昭和23年)。戦後の再刊行版。大好きな小説で、自分の書棚にずっと立てていたもの。オリジナルじゃないけれど、装幀はじゅうぶん昔っぽい(オリジナルは復刻版で持っていたが、それと比べると、戦後すぐということもありチープな造本)

レトロなカバンやらメガネやらの雑貨、ポケット版写真集、というかカタログ集?(英語)。むかしむかし国立・銀杏書房で、いつか誰かへのプレゼントにできるっぽいので何冊か購入したうちの3冊。

ドーナツ盤・厳選10枚。何の厳選かわからないが、むかし新宿東口から大ガードをくぐって右にあった中古レコード屋などで日本のシングル・レコードをさかんに買っていた。そのなかから吾郎さん向けに選ぶ。大屋政子「政子ちゃん音頭」などノベルティソングは迷った末、今回のセレクションからははずし、「日本のアイドル歌謡、アレンジ洗練化の歴史」的な+アルファの10枚。

ということになりました。

句会のほうは、いつもと変わらず、「出来た」句もあれば、「何するねん!」な句もあり。どちらかだけじゃあ貧しい。どっちもあるのが愉快。句会後もいつもどおりの飲めや食えや。

お疲れさまでございました。

2014/01/25

■関西へ

少し先の話ですが、3月15日(土)「関西現代俳句協会青年部の催し」におじゃましてきます。

http://ameblo.jp/haiku-manabu/entry-11753505525.html

本場関西で笑いのとれる話ができるのか。自信はありませんが、関西の皆さんにお会いするのが、いまからとても楽しみです。


2014/01/24

■前衛はオシャレでなくてはいけない

前衛は、最先端のモード。

なのでオシャレでなくてはいけない。

言い換えれば、オシャレじゃない前衛俳句は、前衛ではない。


と、ここまで、「世界一いいかげんな俳句用語辞典」として企画、その1本目で、書くことがなくて(アイデアがなくて)、自分に萎えた。


なお、いいかげんじゃない説明の欲しい方は以下を参照。

はてなキーワード>前衛俳句

歌人? …に限らず随所に「いいかげんじゃない記述」。どうやったらこんな記事が書けるんだ?という驚きの記事。


冗談はさておき、以下はリンク集。

大辞林 第三版

≫極私的『第21回現代俳句協会青年部シンポジウム「前衛俳句」は死んだのか』レポート:関悦史
前篇  後篇

死んだのか死んでいないのかを語ることの意味について:田島健一

「前衛俳句」は死んだのか・その後(リンク集)

攝津幸彦の句 幸彦と前衛:北川美美

2014/01/22

■そろそろ尻子玉句会の句を用意しなくちゃいけないタイミングだろうか?

まず、河童になりきる。

すると、見えるものが違ってくるから不思議。

問題は、寒いこと。

なにしろ一月ですから。

湯湯婆の水音(湯音?)に郷愁を感じる、そんな句を詠めばいいのかも。


(註)尻子玉句会は「河童縛り」ではありません。「公式」には「妄想縛り」。ところが、この年齢になると(というか、もともと)、何が妄想で何が妄想でないかなんてほとんどわからない暮らし方(つまりボケボケ)なので、「妄想縛り」という縛りは、とても難しいのです。

■変態俳句

現代俳句協会青年部が「変態俳句」についてアンケートを集めていることを知り、ちょっと調べてみた(ググっただけ)。

とりあえず「羽化」。

「羽化登仙」的な比喩は多く見つかるが、ちょっとぴんとこない。とくに作者本人の「羽化」となると、どうしてもナルシズムが入ってしまう。で、そういうのを除いていくと…

人参を擂るおとうとの羽化のため  佐藤鬼房

父の忌に羽化する蝉のうすみどり  橋本薫

耳鳴りのあの夕暮は蝶の羽化  柿本多映

羽化のもの遠くへ犀の革ごろも  中島斌雄

といったところがお気に入り。「おとうとの羽化」は比喩だけれど、あやしい。

中島斌雄は迫力があるなあ。むかしもっと読んでおけばよかった。

「羽化」そのものを描写した句も多いが、だいたいは一味足りず。その点、橋本薫さんのは「父の忌」との照応が透明感をもたらしている。


なお、「蟬の殻」「空蟬」といった季語も関連してくるが、それだと範囲が広くなる。



(すっとぼけ)

2014/01/21

■蔵書は計5冊

半村良『下町探偵局』の主人公、デスクの抽斗には『金枝篇』(岩波文庫)5巻が入っていて、外にでるときは適当に1冊を持ちだし、適当なページをめくって読む。読書はそれだけで事足りると考えているようで、となると、蔵書は計5冊。こういう身軽さもいいなあ、と思うのでありました。





いまはいろいろな翻訳が出ているようです。どれがいいのかは知りません。

2014/01/20

■くにたち句会〔1月〕のお知らせ

2014年1月26日(日) 14:00 JR国立駅 改札出て南口あたり 集合

句会場所 いつものキャットフィッシュ(予定)
席題10題程度


句会後よろしければ飲食も(会費あり)

2014/01/19

■金魚の死

いつまでも死なぬ金魚と思ひしが  西村麒麟

金魚死にその日のうちに捨てられし  八田木枯

金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ  同


西村麒麟『鶉』(2013年12月・私家版)、八田木枯『鏡騒』(2010年9月・ふらんす堂)より。

2014/01/17

■リトル・ホンダと小瑠璃 野口る理句集『しやりり』の一句

「リトル・ホンダ」と聞けば、とうぜんザ・ビーチ・ボーイズのあの曲(≫YouTube)、ヨ・ラ・テンゴもカヴァーしているあの曲(≫YouTube)。ところが、先般のニュースで耳にしたのはどうやら別物のようで…。
-ACミランを選んだ本当の理由は

本田 心の中で、私のリトル・ホンダに聞きました。「どこのクラブでプレーしたいんだ?」と。そうしたら、心の中のリトル・ホンダが「ACミランだ」と答えた。そういう経緯があって、ACミランに来ました。
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20140109-1241485.html

本田選手の心の中に棲む「小さな本田」がACミラン移籍という重大事を決めたそうです。洒落たことを言う。好悪は分かれるでしょうが、これまでの日本人スポーツ選手とはひと味違っています。

さて、次の一句。

  小瑠璃飛ぶ選ばなかつた人生に  野口る理

句集『しやりり』(2013年12月/ふらんす堂)の掉尾を飾る一句です。

「る理」という名で暮らし、俳句を書く作者は、「小瑠璃」というヒタキ科ノゴマ属の鳥(夏の季語)をそうそう安易には自分の句に使えません。どうしたって〈わたし〉と〈こるり〉は強くて濃い関連性をもって読まれてしまうから。そこで、この句です。第一句集の「〆に持ってきましたか」と、にやり笑うしかない。すばらしい。

(ちなみに、八田木枯さんに「木枯」の句がどのくらいあるのか。全句集をめくってみた。なかなか使えないだろうと想像していたが、10句あった。ただしいずれも「木がらし」の用字)

木枯さんの10句の内容には〈わたし=八田木枯〉との関連性はあまり見いだせません。季語としての木枯はかなり一般的だし、それ(自分との関連付け)をやっていたら、作者にも読者にも少々ややこしい事態を招きそうです。

一方、掲句。「小瑠璃」なんて季語はあまり見ないし、句の内容から言っても、作者(野口る理)との関連は明らか。にくい演出です。

ところで、この句にある「選ばなかった人生」については、ちょっと読解に迷うところがあります。

A 選択したわけでもない人生、今の自分が歩んでいる人生

B いまの自分は選んでこの人生を暮らしている。選ばなかった人生があったはず。その「存在したかもしれないが、結果的に存在しなかった私の人生

はじめ私はAで読んだ。選択、意思、予定、そんな自発的なことで人生を積み上げるわけでもない。今の自分は「予定とは違う自分」である。

しかし、そうした諦観みたいなものと、作者(野口氏)は親和するようで親和しない。茶目っ気はあるがクールで(いい意味でも悪い意味でも)理知的な作風の目立つ『しやりり』ではあるが、なんといっても、作者はまだ若い(プロフィールでわかるばかりではない。句のモチーフが若い)。若い身空ですでに予定とは違ってしまうのでは、なんというか、その、ハード過ぎる。

そうしたことを考えているうち、Bの読みになりました。「私があのときああしていたら、違う人生だったはず」という、それは誰にもある思いにちがいありません。

しかし、さらには、AかBか、その二つがそれほど判然と別々にあるのではない気もしてきました。選ばなかった人生を暮らす〈仮の私〉〈存在しなかった私〉と、いま現実に暮らしている〈私=作者〉。この二つは、あんがい近い。

パラレルワールドといったSF的な仕掛け。そうでなくても自己アンデンティティ融解のモチーフは数多い。下世話な例では「世が世なら」なんてこともよく言います。

AでもBでも、どっちでもいいや。「もうひとつの人生」「もう一人の私」に小瑠璃(≒リトル・るり)が飛ぶ。そういう句だと思うことにしました。


小瑠璃は美しい鳥のようです(実際に見たことがないのが悔しいくらいに)。














こんなに美しい小瑠璃が飛ぶ……。小瑠璃はその「人生」を祝福してくれているのか、あるいは無表情にただ過ぎ去るのか。そのへんまではわからないところが、俳句のいいところです。「きっと祝福しているんだ」とわかりやすく気持ちのいい読み方をしてもいいし、しなくてもいい。

悦ばしく美しい。残酷に美しい。その二つもまた、それほど隔たったものではなさそうですから。


【関連記事】
中嶋憲武:ルリちゃん
http://hw02.blogspot.jp/2009/10/blog-post_14.html
西原天気:姫キャラ
http://tenki00.exblog.jp/16230845/
 

2014/01/14

■海老フライ

「海老フライ、どっさり24本入りで1,050円!4,000円以上まとめ買いなら送料無料!」という販促メールが到来。

海老フライ96本買え、ということですか?

というか、1本も要らない。


  いちぐわつや旧仮名で書く海老ふらひ  10key


2014/01/09

■はじまり

なにかをはじめるとき(といっても大きなことじゃあありません)、一日、一年、なんでも。

前奏でもって(前奏からしてすでに)気持ちを押してくれる音楽。

ファンキーに。


あるいは晴れやかに。


あるいはゴキゲンに。


あるいはちょっとアグレッシヴに。

2014/01/06

■2014

帰省のため6日間、東京を離れ、PC環境を離れ、4日の遅く深夜1時にこちらに戻ってきて、週刊俳句・初仕事が、トップ写真の更新。





「2014年新年詠」は壮観!
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/01/2014.html

私自身は欠詠。この号、読者として楽しんでいます。


遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。