2009/05/30

クストリッツァ監督「ライフ・イズ・ミラクル」


エミール・クストリッツァというサラエボ出身の監督の映画がおもしろいと、竹丸くんから聞いて、いま上映中の「ウェディング・ベルを鳴らせ!」に出かける前にひとつ、ということで「ライフ・イズ・ミラクル」(2004年)をレンタルで借りて観る。

内戦直前、ボスニアの片田舎で暮らす鉄道技師。サッカー選手をめざす息子は徴兵され、オペラ歌手の妻は楽士と逐電。そこへ筋が進むまでに、いろんなことが盛りだくさんに起こるが、話の本番は一人暮らしになってから。

ロバ、猫、犬、鳥…。動物が抜群な映画。音楽もいい。役者もいい。風景の撮り方もいい。エピソードへのこだわりも好みに合う。深刻ぶらない喜劇的(ときとしてドタバタ)なタッチも好み。祝祭・狂騒シーンに独特の味。

星4つ半くらいに気に入ってしまった。

2009/05/29

もじる


もじりやパロディに大きな成功はあるのか?

  風船が廊下の奥に立つてゐた  佐山哲郎

言わずと知れた渡辺白泉「戦争が廊下の奥に立つてゐた」のもじり。原句は、「憲兵が廊下の奥に立つていた」ではどうにもこうにもならないところを「戦争」と抽象化した手柄で、結果、抽象をを越えた質感をも備えてしまった。

掲句は、あえていえば擬人法。もじりを超え、擬人法を超え、なんともいえぬ気分を醸し出す。

もじり、とりわけパロディが、「しょせんパロディに過ぎない」のは、元の原典が持っている読みのフィールド内で読まれる、という限定性の故だ。掲句(風船)は、もじり(パロディ)であることを全身で言明しながらも、別のフィールドを生起させてしまった、というのは、誉めすぎだろうか。

白泉の「戦争が~」もいいが、「風船が~」は、もっといいと、まじめに考えておるわけです。はい。


ちなみに、もじり(パロディや本歌取りも含めて)と剽窃はまったく別物で、どこがいちばん違うかというと、作者が前提としていることが違う。

もじりは、元の作品を読者が知っていることが前提。
剽窃は、元の作品を読者が知らないことが前提。

あまりに当たり前の話だが、外形での区別は実は曖昧。作者の心の中は、以上の如く正反対。

パープル・ヘイズ

おっ、ご同輩が増えました。
http://yamadarockets.blog81.fc2.com/blog-entry-91.html

タバコはからだに悪いし、匂いが迷惑なことが多いので、みなさん、パイプに切り換えるべきです。はい。


甘い香りのアメリカ系ではなく、イギリス系。好きな葉は、ダヴィドフのイングリッシュ・ミクスチャ、ラトレイズのセブン・リザーブ、格安ならマクバレンのスコティッシュ・ミクスチャを容器なしのバルク買い。

オススメお買い物サイト≫ smokingpipes.com

2009/05/27

45回転→33回転


Betty Botox: MMM Betty! というCDを買った。いわゆるDJモノというのか、このへん不案内でよくわからないが、昔の音源を再編集して寄せ集めたCD。このなかに Love of Life Orchestra の Beginning of the Heartbreak という曲(1979)が入っていることを知って買ったのだ(この曲の12インチEPをむかし持っていた)。

つまりむかしよく聞いていた曲が入っている寄せ集めCDがあったので買ったということ。

その Beginning of the Heartbreak を早速聞いてみたが、頭の中に残っていた音とかなり違う(こういうことはよくある)。ぜんぜん違う。

で、思い出した。当時、EP(45回転)のこの曲を、もっぱら33回転で聞いていたのだった。違うはずだ。

なぜ遅くして聞いていたのかというと、そっちのほうがいいから。音が粘って(当たり前だ)、どーんと重くなり(当たり前だ)、この曲はそのほうがだんぜん気持ちが良かった(後半の女性コーラスがカマっぽくなるのはお約束)。

回転数を換えられるCDプレーヤーがあるみたいだから、それを買うしかないらしい。

そうそう、この12インチ盤↓↓↓
http://theobscuremusicclub.blogspot.com/2008/12/love-of-life-orchestra-beginning-of.html


レコード時代は、手軽に回転数をいじって聴けるのが楽しかった。33回転か45回転か、という大幅な転換に限らず、回転数調整つまみで、「すこし換えて」も聴けた。

ビートルズ(白ジャケ)の「I Will」(ポール。マッカートニーで一番好きな曲)は40回転弱の早廻しで、ジェリー・ルイスの Rock-A-Bye Your Baby はそのままだとちょっとかったるいので早廻し(45回転だと白木みのる風になる)など、いろいろ楽しめたんですよね。

やはりスピード調節付きCDプレーヤー、要る? いくらくらいするんだろ?

2009/05/26

蝶ネクタイ


ネクタイの似合う人になりたいなんて思わないが、蝶ネクタイの似合う男には、ちょっと憧れる。

レイ・デイヴィス


スマイリー小原


蝶ネクタイには、やはりタダモノではない感じが。

ドンガバチョも忘れてはいけませんね。

そういえば、ドンガバチョの声をやっていた藤村有弘も、蝶ネクタイが似合う。

2009/05/25

コンテクスト感覚


こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の
けゅきんう の けっか

にんんげ は もじ を にしんき する とき
その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば

じばんゅん は めくちちゃゃ でも
ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。
どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

少し前から話題になっている「ちゃんと読めてしまう」文章。

人は、コンテクストを読んでいる、ということですね。

ことばを耳で聞くとき、一音一音の音を聞き分けているのではないのに、聞き取れてしまうのは、コンテクト感覚が備わっているから、という話があるが、文章を目で読む場合も同じなんですね。おもしろく証明してみせてくれています。

蛆の花


まつしろに花のごとくに蛆湧ける  高柳克弘
(『俳句研究』2007年7月号)

作者の高柳克弘氏のブログにジョージ・ロメロの名を見つけ…
http://sun.ap.teacup.com/katsuhiro/171.html

やっぱりな、と。

よほど好きじゃないと、ここまでの句はつくれません。

2009/05/24

消息 2009年5月下旬 ウラとオモテで


ウラハイ2009年5月24日号に「ネット拾読:殿山泰司がやたら心にしみてくる夜」を書きました。
http://hw02.blogspot.com/2009/05/blog-post_24.html

週刊俳句第109号の「haiku mp」の解説「仮想デュエット」を書いています。企画、動画のセレクト、原稿書きと、大きな声では言えませんが、他の何か書くときよりも力が入っているかもしれない。で、仮想デュエットの動画、3本とも、みものです。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/05/haiku-mp_24.html

2009/05/23

不思議なメモのような 瀬戸正洋『俳句と雑文A』


瀬戸正洋『俳句と雑文A』(邑書林・2009年4月)を読む。

隕石と冬のキャベツと人間と

鉄亜鈴とボデイガアドと菖蒲湯と

名詞を三つ並置した句がわりあい目立つ。きっと、ふだんあまり見ないかたちだから、目に止まるのだ。助詞「と」でつなぐだけだから、措辞としての彩(あや)はない。何と何と何が並ぶかが、句の組成だ。ところが、俳句には「二物衝撃」とか「取り合わせ」とか言って、二つの事柄の案配(ぶつかり方・寄り添い方・展開)で興趣が成り立つことが多い。

この句集に散在する「三つ並置」は、そんなことはお構いなしに、三つが並ぶ。ひとつひとつが象徴作用を伴う詩的な用法でもない。

五七五の韻律の範囲で並ぶものばかりでもない。例えば…

鏡の中のクリスマスツリーと継母

月下美人とジャスピアニストと潮騒と

これはメモなのだ、と、読んでいるうちに思う。単なるメモが、俳句という形式のなかで「とても不思議なメモ」になっていく。

作者の身の回りに「あるもの」「起こること」をメモのように並べていく。俳句的な彩(あや)などなしに。

描写、うまい言い回し、語の工夫、そうした彩(あや)が無粋に思えることがある。一生懸命、言い回そうとする句は、しばしば無様でうざったい。

この『俳句と雑文A』に収められた句は、ブツが、事件が、ただ並ぶ。ところが、それが不思議なのだ。

三鬼読む気象記念の日なりけり

無断欠勤足長蜂は肩のうへ

扇風機指圧師腰痛を嘆く

このあたりは、メモ風の日記のようだ。作者の腰を揉む指圧師が、実際、腰痛を嘆いたのだろう。そばに扇風機。

ドビッシイ「海」蚕豆茹でにけり

低気圧高気圧毛糸編みにけり

ドビュッシーの「海」が流れ、蚕豆を茹でた。また別の日は、天気予報か頭の中か、低気圧高気圧が生起する。そして毛糸を編んだ。ただそのことが句として書かれてあり、それが不思議な感興をもって私を喜ばせる。

美熟女にしびれて電気毛布かな

俗な言い方の「美熟女」から俗な「電気毛布」へ。ところが句全体は、俗に堕する一歩手前で、私を笑わせてくれる。

真夜中の絶叫憲法記念の日

絶叫も憲法も、アレな、というのは、余計なコノテーション(潜在意味)が滲み出てしまいそうな語なのに、この句は好ましく素っ頓狂。

強い語を並べながら、脱力系の興趣を生み出す。不思議な句群です。

扇風機の「弱」動かなくなりにけり

五月闇へんな力の湧きにけり

視力検査椎茸焼いてゐたりけり

田水沸く小学校と中学校

ああ、この『俳句と雑文A』、随所に不思議な句が…。

気持ちよくハマりました。

2009/05/22

きほん楽しく、ところどころワンダー

スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、なかでも「スタンド!」というアルバムがいっとう好きかな、と思います。

なかでも、この曲。




同じ曲の2007年7月15日オランダでのライブ。テンポをずいぶん違えて演ってます。




え? 2007年?

で、調べてみると、2007年7月7日の復活したんですね、スライ&ザ・ファミリー・ストーン。

知りませんでした。とにもかくにも復活はめでたいです。


音楽がどう良いのか、説明するのは難しいですが、スライは、どのページを開けてもワクワクした楽しさがあって、そこに紛れ込むようにワンダー(驚き・不思議)がある、という感じでしょうか(って、なんだかバカみたいな書き方になる。やはり難しい)。

どこいらかしこぜんぶが楽しく、ところどころワンダー。

これが逆だと疲れてしまうのですが、そうじゃないから、いつ聞いても、とてもいいのです。

大富豪と公務員

「大富豪というところが凄いじゃないですか!」と竹丸くんが言う。バットマン物語の設定のことを言っているのだ。

「ダークナイト」というバットマン映画の最新作(2008年)では、自宅ビル(自社ビル)最上階にバットマンの装備一式があった。

「日本でいえば、六本木ヒルズの最上階にバットマン基地があるようなもんですよ!」と竹丸くんは続ける。

そう聞くと凄さが減退するような気もするが、たしかに、バットマンは誰に雇われることもなく、ポケットマネーで悪と戦っているわけである(うまく会社の経費にしているフシが、あの映画にはあったが)。

「日本だと、ウルトラ警備隊ですからね。ぜんぜん違いますよ」

なるほど、ウルトラマンは異星人だから別にして、ウルトラ警備隊はきっと公務員なのだろう。バットマンとは立場が違う。

違う話だから設定が違っていて不思議はないのだが、それ以来、「ウルトラ警備隊=国家公務員」という当たり前のような、どうでもいいような事柄がアタマから離れず、困った。


ところで「ダークナイト」では、2隻の船(一般市民の乗った船と囚人の乗った船)が互いに爆破装置をもつハメになり、結局はどちらにも爆破はなく被害者は出ず、という結末について、観た人の意見が是か非かで分かれているようだ(こう聞いてわからない人はレンタルで観てください)。私はあの部分は「甘い」と思う。観ながらシラケてしまった。

2009/05/21

消息 2009年5月 豈ほか

ウラハイ=裏「週刊俳句」5月17日に「ネット拾読」を書いています。
http://hw02.blogspot.com/2009/05/blog-post_17.html

 

『俳句空間-豈』48号・媒体論特集に短文「例えばタモリ倶楽部のような」を書いています。

校正洩れ。

  機能は使うもので、機能そのもの何かを生み出してくれるものではありません。

迂闊でござんした。

自分に「媒体論」の原稿依頼が来たということは、「週刊俳句」について書け、ということだろうと解して、そのことを書きました。例によって、むずかしいことは書けないので書いていません。

この特集、五十嵐秀彦、上田信治、小野裕三、櫂未知子、小林貴子の各氏が執筆。

残部若干手元にあります。ご興味のある方、ご連絡いただければお送りいたします。

2009/05/20

44年後

1964年。シルヴィ・ヴァルタン20歳


それから…

44年が経過

2008年。シルヴィ・ヴァルタン64歳

阿佐ヶ谷パールセンターな散歩

2009/05/19

40年後

ザ・ロネッツの大ヒット曲「ビー・マイ・ベイビー」は1963年。

キュートすぎます。
http://www.youtube.com/watch?v=MCUO7F2xjzw

こちらは1965年。どんどん上に積み上がって高くなっていったと思しきヘアスタイルが素敵です(ほとんどマーズ・アタック)。
http://www.youtube.com/watch?v=8ONH3hIjO3c

それから…

40年以上が経過

2007年。ロニー・スペクター62歳。



いいかんじに恰幅良くエイジング。

2009/05/16

凄いジャケット(2)


承前

シリーズ化は、あり得ません(為念)。


凄いレコードジャケットはもちろんのこと日本にも存在するわけです。

小学生が図工の宿題で切り貼りしたような、凄いジャケット→

山本リンダという人には、ジャケットだけでなく、中身(音楽)の凄いものがたくさんあります。有名な「どうにもとまらない」(1972年)から数曲はヒットが続きましたが、それも翌年まで。そのあとが凄いことになります。なかでも74年の奇蹟の歌 は出色。

アンサーソング「私の恋人、たいやきくん!」は76年です。

2009/05/15

備忘録 言説の明暗

(…)自戒としたのは「気をつけよう、暗い言葉と甘い道」という標語であった。「暗い言葉」を語る人間にはついてゆかない方がいい。
内田樹「まず隗より始めよ」

2009/05/14

凄いジャケット

想像を絶する凄いレコード/CDジャケットというものが世の中にはあって、それを集める物好きもいる。

推奨2サイト
質量ともに決定版? ≫ The Museum of Bad Album Covers
手っ取り早く味わいたいときは ≫ 20 Creepiest Album Covers

日本のは、ないのかしらん?


ラブ・アンド・ピース!

アートワークも凄いが、全員、コクありすぎ。

ふくみみ

知り合いから美味しいと聞いて出かけた府中のラーメン屋さん「ふくみみ」。評判店らしい。けれども、評判店が自分にとって良い店とは限らない。相性という問題がある。とくにラーメン店の場合、ひじょうに危ない。

さて、この「ふくみみ」。店に入ると、香りがいいのに、まず吃驚。ラーメン屋というのは、食欲も何もぶっ飛んでしまうような、ひどい匂いのする店が多い。それにひきかえ、この店の香りの良いことと言ったら! ふわっとやわらかい香り、美味しいラーメンの香りがする。

カウンター内には若夫婦らしい二人。接客の雰囲気が自然で、なんとも言えず良い。店内はどこをどう見ても清潔。

値段は550円。安いです。きょうび、基本は600円、なかには、なに考えてんだか700円、800円というような店まである。そんな勘違いなラーメン世間にあって、550円。

客は、食べ終わると、鉢とタンブラーをカウンターに返し、濡れたダスターで卓上を拭き、「ごちそうさま」と言って出ていく。評判店でよく見る客のマナー。

で、出てきたラーメンは、薄目の出汁にコシのある麺。美味しい。


香り良し。接客良し。店の清潔感良し。値段良し。客良し。味良し。さらに、もうひとつ…。

  ふくみみ。

名前がとてもいい。


google ふくみみ ラーメン

2009/05/12

インドロック

インドロックIndo-Rockというジャンルがあるんですね。インドと言っても、カレーのインドじゃありません。インドネシア。

60年代、オランダで流行したインドネシア系のあんちゃんたちのインスト中心エレキバンド。You Tube で偶然見つけ、お気に入りのバンドもいくつかできた。

その1 エレクトリック・ジョニーとスカイロケッツ


芸名がイカす、顔がいい、ヘアスタイルがいい、お服がいい、バスドラの形がヘン、レコードジャケットが素敵、音が素敵。

インドネシアは世界有数の芸能圏だし、オランダ経由で西洋音楽との混淆の歴史は古い。そのへんもあるのでしょう。

その2 ザ・ロッキン・ブラックス


リード・ギターとヴォーカルのDominicus 'Mingoes' Hitijahubessy(読み方がわからない)のお顔が抜群な感じです。立川あたりでぶらぶらしているオジサンみたいな。

その3 ザ・ローラーズ


これもキュートです。

今回はこれくらいにして、また続きをやります。

ライブ感とスピード感

ふつう、句集というのは、一定期間作り貯めてきた、たくさんの句のなかから、2~300句を選び、並び順を決め、1冊にする。その点、大畑等句集『ねじ式』(2009年2月)はちょっと違う。

全五章が句群と句篇の二種に分かれ、このうち句群は上記のような通常の組成をもつものの、句篇は、短期間の制作期間。例えば、句篇「半陰陽の午後」は2007年2月27日から3月18日、およそ20日間に作られた1句から成る。

著者による後記には「句篇は一気に作った。その勢いが削がれるのをおそれ、できるだけ手を加えないようにした」とある。読者は句篇「半陰陽の午後」を読むとき、作り手・大畑等さんのその20日間という時間に、この句集で付き合うことになる。カジュアルに言えば、ライブ感を伝えようという意図と見ていいのだろうか。

ただ、この句篇の試みにとって、私は幸福に選ばれた読者ではないらしい。一気に作られた句篇よりも、通常の手順でチョイスされた句群に、好きな句が多かった。

  男の首絞めたり葱を作ったり
  流星群来よ大根を煮ておくから
  法然廟蝶の湿気がぴらぴらする
  立夏なり蛸は筋肉で泳ぐ

大畑等さんとは、ある時期、句座を共にさせていただいている。上に掲げた4句は、その頃に一読魅了された句。

  絶対電柱少女ぎしぎし歩く

この句は以前にブログで取り上げ、週刊俳句のサバービア座談会でも取り上げた。この句集のタイトルが「ねじ式」ではなく、「絶対電柱少女」なら、どんなによかっただろう、と個人的には思っている。

ちょっと古い、って? そんなことは問題じゃないと思う。大畑さんも後記で「いっそ一周遅れの正確な時計でありたいものだ」と書いている。

  串本節すたすた赤子眠るかな
  三島忌やまだうら若き洗面器
  あかつきの種痘痕から雨音する
  なめくじのひとつうねるは狼煙なり

さて、こうして掲げてきた句の魅力のひとつは、スピード。句に備わるスピードの快感である。自分にはぴんと来ない句にも、スピードは備わっている。

いま、もっとも刺激的でスリリングで、スピードのある俳句を作れる作家のひとりが大畑等さんだと確信している。次の句集を手にするまでのあいだに、もう一度、この「ねじ式」という句集を、これまでとは違った姿勢(寝ころんだりトイレに坐ったり)でめくってみたいと思っている。


小野裕三氏による『ねじ式』評 ≫こちら

2009/05/11

最終日

ウラハイ=裏「週刊俳句」で開催されていた「中嶋憲武まつり」の最終日。
じんわり沁みます。

2009/05/10

チラシの裏

両面印刷してあるチラシなんて品がないわよ。裏が白くなきゃ、メモ用紙にならないじゃないの。役に立たないチラシは腹がたつわね、とヨシ子さんは言う。
嵐山光三郎「コンセント抜いたか・第595回」(知り合いの喫茶店に置いてあった雑誌ページの複写)より。

ヨシ子さんは、嵐山氏のご母堂。当年92歳で第二句集「九十二」を上梓。ふだん俳句はチラシの裏に書かれるのだそうだ。

  忘れものせしも忘れし四月馬鹿  祐乗坊美子

思いついた句はチラシの裏に…。俳句の楽しみ方として、なかなか、です。

鏡な散歩


新宿区高田馬場

2009/05/06

豆の木第13号:続報

承前

購入はこちら↓
http://6918.teacup.com/mamenoki/bbs/1974

こしのゆみこ句集「コイツァンの猫」がプレゼントで付いてくるそうです。オマケのほうが高価、というめずらしいケース。この句集、エラくおもしろいです。

追悼:忌野清志郎

忌野清志郎が2009年5月2日亡くなったその直後、近隣を含めたくさんのブログに追悼記事。どれほど尊敬と愛情を集めたミュージシャンであったかの証明だと思います。

ローリングストーンズばりの長いロックバンド・キャリアよりむしろ、私にとってのRCサクセション=忌野清志郎といえば、コレ↓↓↓



アコースティックギターを持ってはいましたが、これは「ロック」でした。

もうひとつ、いろいろなところに貼られていますが記念碑的な意味で、タイマーズのTVミニライブ。

禁断の惑星(1956)


瞬間的な宇宙人ブーム。その流れで「禁断の惑星」(1956)を観る(TSUTAYAディスカス)。これに登場するロボット「ロビー」が映画から離れ単独でよく知られるが(その後の宇宙モノのロボットの原型)、通して観たのは初めて。

かなり狭いところで撮っているようにしか見えない撮影セット、少年雑誌の挿し絵のような書き割りなど、意匠面が、いかにも。

最後まで観て、連休中とはいえ自分はどれだけ暇人なのか、と、ちょっと自省。そんな気にさせてくれる映画でした。

2009/05/05

豆の木・第13号


1年に1回、俳誌『豆の木』が出ます。だいたい毎年この時期のようです。

私は俳句10句と短文を載せてもらってます。

見てみたいという方は、連絡をください。残部ありますので、お送りします。

2009/05/04

ナカジマさんな散歩

画像をクリックすると大きくなります(他同)

2009/05/03

宇宙人俳句

春と夏、いずれ劣らずおもしろうございます。

太田うさぎ 宇宙人襲来 シーズン1
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/04/1_26.html
中嶋憲武 宇宙人襲来 シーズン2
http://hw02.blogspot.com/2009/05/blog-post_03.html

俳句はやっぱり季節感がだいじ。

消息 2009年5月初旬 俳句を読む

「週刊俳句」第106号に「週俳4月の俳句を読む:ふだんのふつうのごはん」を書かせてもらっています。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/05/104-200953.html

 

同誌の「俳句を読む」については、第104号で谷雄介さんが不満というかダメ出しというか要望というか、まあ、ネガティブに触れていて(「~を読む」のコーナーに辟易)、第106号では、鈴木茂雄さんと大石雄鬼さが、谷さんの記事に直接レススポンスしている(上田信治さんの「なんとなく「上から目線」」も別のアプローチからのレスポンスだろう)。

「書くこと」のありようについて誰かが何かを言い、それによって別の誰かが顧みたり揺すぶられたりすることは、きっと、いいことなのだと思う。

ただ、自分が、特定の句について何か書く、というとき、対象を自由に選べて好きな分量を好きなように書くという、そのことが「楽しい」というのが第一。無責任なようだが、それで何かを為せるとは思っていない。どなたかには叱られるような書き方をしてしまっているかもしれないし、どなたかには退屈な駄文でしかないだろう。すんません、と謝る心の用意はしておきながら、という感じか。

はい、今回も楽しく書きました。


なお、週刊俳句の当番として、もちろん谷雄介さんにも「4月の俳句を読む」の原稿を依頼しましたが、入稿・諾否の返事ともにいただけず。「ネタ振り」だと思って気楽に、とは申し上げたのですが、そりゃあ、書きにくいか。

2009/05/02

ぬくい散歩


画像をクリックすると大きくなります(他同)