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2023/11/21

■旅するバンド・合奏の愉快

某週末。yuki氏が出張で、ひとりのんびり過ごす。

津原泰水『ブラバン』があまりに良かったので、音楽映画を見たくなり、配信サイトをぶらぶら見てまわり、これにしようかな?ってなかんじで、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(アキ・カウリスマキ監督/1989年)を観る。

この監督、評判は聞くものの、なんと、観るの、初めて。

ありゃま、良いっす。

映画、たのしい。オフビートってゆうの? 出演もしてるジム・ジャームッシュっぽくもある。地域的(欧州のまんなかじゃない)なものか、劇中音楽からくるものか、エミール・クストリッツァっぽくもある(と思ったよ。よくわかってないけど)。

このバンドが奏でる音楽はヴァラエティ豊かで、祝祭的。

ジャンルは違っても、音の風合いは違っても、つまり別の経路を通っても、結局、祝祭的な浄化に至る音楽が、私は好きみたいです。



2020/12/08

■予約って心理的ハードルがとても高い

『ミセス・ノイズィ』とか、観たい映画はいろいろあるんだけど、「予約」して観るというのが習性になっていないので、「予約」が心理的にかなり高いハードルになる。…ってことが今回のコロナでわかった。予約かあ、まあいいか、となっちゃう。

未見の『子猫をお願い』(2001年)も、今月映画館でかかるんだけど、DVD買っちゃった。

もう1枚、ペ・ドゥナ(ファンなのです)で『ほえる犬は噛まない』(2000年)。ポン・ジュノ監督でいちばん好きな映画。DVDで持っとくのもいいかな、と。えらく安かったので。



2020/11/08

■大統領選とTVドラマ

米国大統領選の報道を横目で見ながら、TVドラマ『ファーゴ』や『ベター・コール・ソウル』を観る愉しみ。

前者の舞台はもっぱらミネソタ州。雪だらけ。後者はニューメキシコ州で、砂だらけ。風土の色濃いドラマはやはり面白い。

なお、TVドラマ版は、映画『ファーゴ』とは別の話が3篇(シーズン4がもうすぐらしい)。で、「ソウル」は人名。「ソウルに電話してネ」という広告文句。素晴らしくいかがわしい弁護士が主役。こちらの完結シーズンは来年の模様。

一方、大統領選を太平洋越しに眺めて面白いかといえば、ぜんぜんそうではない。うんざりの種は増すばかり。





2020/05/26

■お家で映画 『ハーフ・オブ・イット』

映画館が閉まっていることもあって、ネット配信のドラマや映画を観る人が増えているそうです。私も、『全裸監督』見たさに Netflix に加入。すでに何本か見ました。やたら長い韓国ドラマに睡眠時間を削られたり(新味も刺激もないけど面白いんだわ)、米国のノンフィクション『タイガー・キング』がたいそう面白かったり。

そんななか、5月1日配信開始の『ハーフ・オブ・イット』(アリス・ウー監督)がとても良かった。

舞台は米国の片田舎、ハイスクールの3人(中国出身の女の子、学年一美人の白人、冴えない善良な男の子)の物語。最終学年と来れば、もう王道青春モノで、代筆が鍵と来れば、古典的ラブストーリー。なんだけれど、ちょっと違う。

映画レビューっぽいことはさておき(つまり粗筋やらキャストがいいとか)、映画って(映画に限らず)細かいところがピリッと巧いと、ほんとに愉しめるものだなあ、といまさらながら。それは、もろエンターテイニング志向でも、そうじゃなくいわゆる文芸的でリリカルな映画でも変わらない。

例えば、この『ハーフ・オブ・イット』だと、タコス・ソーセージがどんなに美味しいかを、セリフいっさい無しで、頬張る様子と表情で伝えるとか、ビデオを観る数秒の表情で男の子の善良さやイノセンスを伝えるとか(基本ちゃあ基本だけど、やたらセリフで説明するポンコツ映画も多いのでね)、主人公の女の子がキッチンで父親と並んで会話を交わすその後ろ姿で、ジーンズの右だけちょこっと中途半端にロールアップになっているとか(偶然か意図かはわからない)、もろもろ。ことばが重要な要素になっているだけに、そのへんの出来の良さが、ピシピシとこちらの快感に届く。

そうした細部が積み重ねられ、ラスト近くのキス、さらに車窓の別れへと、映画は進む。これねえ、ほんとに美しいキスシーン。そして、車窓の別れは、映画前半の伏線が効いて、出色。乗り合わせた乗客たちの(なにげない表情だけの)演技がそれぞれ最高の部類という、作りのていねいさ。

素敵な映画でした。


2020/03/04

■観客は10人くらいでした 映画『初恋』

感染を防ぐなら、映画もやめたほうがいいって言ってる人は、映画館に行ったことがないんじゃないのかな。ずっとだいたいはガラガラですよ(ごく一部を除いて)。人どうし、近くない。食べ物屋のほうが人口密度が高い。

というわけで、『初恋』(三池崇史監督)を観てきました。府中のシネコン。昼間。客は10人前後。少ない。

映画は、ひとことでいうと、雑。

観せ方も造りも話の運びも、観る人をどう愉しませるかも、雑。

でもね、面白い部分もある。観て損はないですよ。

ハイライトは、ベッキー。はい、あのベッキーです。これがもう、最凶・最強。

あと、染谷将太も、やっぱりいい。

このふたりが強烈に狂気なので、ほかがぜんぶくすむんだけど、このふたりだけでも観る価値がある。

でね、これ、ラヴストーリーじゃないですよ。その要素もあるけど、ちょっと違う。なだけに、「初恋」というタイトルは、悪くない。いい。

ラヴ&ピース! いや、ピースじゃないな、この映画は。




2018/08/19

■たくさんの時間やページ数や言葉数の愉悦

昨日の記事で引いた、
みんなみんな、なんでそんなにたくさんの時間やページや言葉数を費やさないと、何かが伝えられないと思っているんだ。(山田航)
これはきっと違う。少なくとも私にはそうではない。この物言いだと、時間やページ数が手段・方法。手間暇をかけないと、目的(何かを伝えること)が達せられない、ということになる。そうではなくて、時間やページ数こそが、私が享受する、悦ばしく享受するものにほかならない。

たとえば、クルマが目的地に達するためだけのものなら、乗っている時間は短いほどいいし、燃費がいいほうがコスト安。あるいは誰かが運転してくれるほうがラク。でもね、クルマがナイスなら、目的地はどこだっていいのです(うひゃあ、ヘタなたとえ)。

分厚い本の愛おしさ、6時間も続く映画の気持ちよさ。それがあるから読むんだし、観るんですよね。


2018/08/08

■『カメラを止めるな!』、あるいは、なにも止めるな!

映画館の満席とは、左右の端っことか最前列とか、「そこって映画観る場所じゃないでしょ」という席まで埋まるということで、そんな異常事態が軒並み、それもどの時間帯にも起こっているという『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)。

やっとこさ観てきました。池袋ロサ。40年くらい前にビリヤードの試合で来たなあ(プロじゃないよ、アマの試合だよ)。当時から場末感みなぎるビルでしたが、さらにディープに。

で、映画なんですが、評判に違わず、最高!!!です。

で、なにを言ってもネタバレになるので、なにも言えない。

でもちょっとだけ言えば、トリュフォー『アメリカの夜』。いや、ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』か? ぜんぜん違うんだけど、じわーっとね。『アメリカの夜』なんだよなあ、と。

●

ところで、ひょんなことから、上田慎一郎監督のおとうさんのフェースブックを知って、これがまた途方もなく素晴らしいのですよ。『カメラを止めるな!』のバックステージものというのでもなく、スピンオフでもなく、でも、それらと無縁でもなく。

≫上田慎一郎 カメラを止めるな


●

『アメリカの夜』や『ことの次第』を持ち出したけれど、『カメラを止めるな!』は、映画って素晴らしい、にとどまらず、なにかをするってことは素晴らしい、さらには、死なずに動いているだけで素晴らしい、と、どんどんとんでもなく一般へと広がって、観ているこちらの胸がいっぱいになる。

『カメラを止めるな!』という映画を観ることは、『カメラを止めるな!』という出来事に出会うことなのかもしれませんよ。

ラヴ&ピース!

2018/08/01

■『塵風』第7号・特集映画館

す、す、すごい!

特集「映画館」では、執筆者それぞれの個人的な思い出・思い入れが誌面に充満。ページをぱらぱらめくるだけで熱気がほとばしるです。




なお、俳句雑誌と銘打ちつつ、全152頁中、同人の俳句作品は32頁。分量もそうなのですが、特集が充実すぎて、もはや俳句雑誌ではない。

問い合わせ先:西田書店
http://nishida-shoten.co.jp/

2018/07/18

■わかる程度にシンプルに/飽きぬ程度に複雑に

「銀河ヒッチハイク・ガイド」(ガース・ジェニングス監督/2005年)、おもしろいっすよねえ。好き。

その脚本家の至言。



これ、俳句をやっている人・やっていない人に置き換えてもオッケーが気がする(むりやり話題をそっちに)。

俳句をやっている人にもわかる程度にシンプルに。

俳句をやっていない人が飽きぬ程度に複雑に。

自分がわからないからといって、俳句をやっていない人もそうだと思うのは誤りだ。


 Stop making sense! (David Byrne)



《過去記事》
■俳句やってる人vsやってない人、読むという点でどうなの? という問題

2018/06/04

■表情が映画を

俳優の表情が映画を駆動させ、その映画に特別の熱やオーラを与えることがある。これはそうそう起こることではないのですが、最近観た2本の映画でそれを実感したのでありました。

ひとつは『タクシー運転手』(チャン・フン監督/2017年:日本公開は2018年4月)の主人公(タクシー運転手)を演じたソン・ガンホ。

もうひとつは『万引き家族』(是枝裕和監督/2018年)の安藤サクラ。

前者は全体のデザインのなかで周到に誂えた表情の変化。後者は、その一瞬の顔と表情で映画をスタートさせ、なおかつ終盤、映画をまとめあげる。

ほんと、すごいな、ふたりとも。

ラヴ&ピース!


あ、どちらの映画もオススメ。

〔公式サイト〕

2017/12/11

■わかるとか理解するとか解釈するとか、いったんやめてみたらどうですかね?

『ストップ・メイキング・センス』の監督ジョナサン・デミが亡くなったそうです(2017年4月26日・73歳。旧聞に属する)。

この映画、見どころは数限りないのですが(ギター1本とラジカセのドラム音で歌うオープニングアクトから、もう)、Burning Down The Houseを貼っておきます。

2017/09/12

■その場で鳴っているはずのない季語の話

映画音楽を大きく分けると、ふたつあって、

1 シーンの中で実際に音楽が流れる

2 シーンで現実に鳴っていない音楽が付加される

ごくあたりまえの二分法です。

「1」は、酒場に入るとバンドが演奏していたりカーラジオから曲が流れたり。「2」は、例を挙げるまでもない。宇宙空間でシンセシザーが鳴るわけはないし、短距離走のバックに交響曲が鳴り響くわけはない。けど、そのシーンに音楽が足されたりする。

「1」は、実(じつ)の音。「2」は、虚の音と言ってもいい。

多くの映画は、「1」と「2」の両方が出てくる。

で、『地獄の黙示録』の「ワルキューレの騎行」のように、「1」と「2」の区別をうまく利用した趣向もありうるわけで。

ちなみに、昨日の記事、『ベイビー・ドライバー』は、タイトルバックあたりを除けばすべて「1」という点がとてもユニーク。ほんとシャレてる(昨日にひきつづきべた褒め)。


ところで、この「1」と「2」の区別から、季語へと思いが到ったわけです(俳人か?)。

例えば、上五中七に室内のことが書いてあって、下五がとつぜん「星月夜」、みたいな句は少なくないのですが、あれは、映画音楽における上記「2」と解せばいいのですね。ムードを出している。

場面転換にムリのある句ばかりではありません。いわゆる「取り合わせ」の多くが「2」のように思えてきました。

取り合わせで植物、花が出てくる句は、実際、その場にそれが咲いている・生えている、というより、ムードを出しているケースが多い。忌日や記念日も、そのものが詠まれることは稀で、もっぱら取り合わせ。これなど、ムードそのものです。

季語の使用、「1」「2」の両方があっていいのですが、私自身は、なるべく「2」の用法を避けていきたい所存。これはもう数年とか十数年のもくろみであります。

ラヴ&ピース!


2017/09/11

■最高な映画『ベイビー・ドライバー』

エドガー・ライトがつくる映画はどれも大好きなわけでして、『ベイビー・ドライバー』、やっとこさ観ました。立川シネマ2は爆音上映という幸運。

で、この映画、「最高!」を100回言っても足りないくらい最高。

音楽がツボりまくりということもありますが、そんな個人的な事情でなくとも、音楽が物語全体の重要な鍵になっている。

仕掛けが多彩で行き届いている(例えば「BABY」という愛称にもとうぜん意味がある)。構造がしっかりしている。進行にムダがない。スピーディ。なのに映画全体がキュート。

いわゆるクライム・アクションであり、音楽映画であり、恋愛もあり、そして、ひとりの青年の魂の救済であるところの『ベイビー・ドライバー』。極上です。

2017/06/09

■クストリッツァ、ワイルド・バンチ、ロング・グッドバイ、ユリイカ…

が大好き(あ、私が、という話です)。

2016/10/28

■廃墟? はい、ちゃんと出てきます 黒沢清『ドッペルゲンガー』

レンタルで過去作を観てゆく「ひとり黒沢清まつり」、継続中。このあいだは『ドッペルゲンガー』(2003年)。

タイトルから想像して「理屈っぽいのかな」と心配しながら観る。序盤は実際そう。ところが、途中から話が転がりだす。

古くからある映画モチーフ=貴重品・財宝(カネ)をめぐってのドタバタ抗争というモチーフの展開となり、どこか懐かしく〔*〕、欧州映画な雰囲気を湛える。ここがいい。

役所広司は手堅く、永作博美が好演、ユースケ・サンタマリアがいい味。

結果、かなり好き。


それはそうと、これまで言い忘れていたけれど、黒沢清という人の「廃墟ラヴ」はそうとうなもので、ほとんどの映画でひつこく廃墟が登場する。この『ドッペルゲンガー』でも、ラスト近く、極上物件。


〔*〕ドッペルゲンガーというモチーフ自体がちょっと懐かしさを纏う。写真の発明によって世の物語におけるドッペルゲンガーの頻度が激減した、とはロラン・バルトの指摘(『明るい部屋』)。「もうひとりの私」の視覚的インパクトは減衰し、かわりに内面にかかわる主題が浮上した感。その点からして、この映画の前半は理屈っぽいわけです。


2016/10/24

■『淵に立つ』ほか

某日。立川のシネコンへ、嫁はんと。『淵に立つ』(深田晃司監督/2016年)。16時からの回は客席まばら。

コクのあるつくりを堪能。いい映画、残酷な映画でした。

映画のあと、当初からの予定どおり立川の街をぶらぶらして、晩ごはんのお店を探す。立川は近いわりにふだんあまり来ないので、おもしろい。すると、看板に「トスカーナ」。え? あのトスカーナ? むかし何度か食べに行ってたトスカーナがここに移転したの? 

入って、店員さんに聞いてみると、やはり、あのトスカーナ。

イタリア料理店ですが、当世の小洒落た感じではなく、「昔ながら(1960年代創業)、あくまでイタリアっぽい、でも日本的解釈のイタリアっぽさ」といった店。私のなかでは、ニコラス(福生)からバタ臭さ(アメリカ臭さ)を取り除いて小ぢんまりさせた感じ。

サラダとタンシチューとピザ(チーズたんまり)、おいしくいただく。

古い店が落ち着く。年寄りには、今風の店は敷居が高い。おいしいんだろうけど、雰囲気に入っていけない。

腹ごなしに歩く。西国立駅(南武線)で電車に乗る手もあったが、ついでだから、家まで歩く。夜道が気持ちいい。


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週刊俳句・第496号に、《八田木枯の一句 秋夕やけ西のあはれを照らすなり》を寄稿。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/10/blog-post_23.html

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某日。小石川後楽園涵徳亭の予約に行く。来年4月で、『週刊俳句』は10年。記念のオフ会の会場として使うのです。

みなさま、2017年4月16日(日)午後から夜まで、あるいは午後か夜のどちらか、あけておいてください。

なにをやるかはこれから運営数名で考え、決めていきます。

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2016/10/09

■怖い話

めずらしく悪夢を見たのは、前の晩、ベッドで春日武彦『無意味なものと不気味なもの』(2007年/文藝春秋社)を読んだせいらしく、昼に読むことにしたら、悪夢は一晩でおさまったのですが、それとは別に、この数か月、「ひとり黒沢清まつり」を開催。つまり、過去の黒沢清映画をレンタルで借りては観るということをしていたわけです。

きっかけは『クリーピー 偽りの隣人』を劇場で観たこと。面白かった。でも、考えてみると、黒沢清はほとんど観ていない。大昔に、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』を観て、マイナーなノリと決めつけ、それ以来、敬遠していたのでした。

何本くらい観たでしょう。蔦屋で借りられるもので、残りはあと数本。このあいだは『叫(さけび)』を観て、「こえぇなあ、おい」という感じでした(ちなみに、観るときはひとりで真夜中に観ます)。


なお、こちら(↓)も、なかなか怖い話です。

「だれ?」:くらげのあぶく
http://kurageabuku.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-80c4.html


2016/09/25

■ニューエイジとボストンと『ヤギと男と男と壁と』

もうちょっとマシな邦題はなかったのか、いい映画なのに残念、というケースは多々あって、『ヤギと男と男と壁と The Men Who Stare at Goats』(2009年/グラント・ヘスロヴ監督)も、そう。

ジョージ・クルーニー 、 ユアン・マクレガー 、 ジェフ・ブリッジズという大好きな俳優陣、ケビン・スペイシーという大好きじゃないけど巧い俳優の共演。

ニューエイジ(ニュー・サイエンス)にハマってそのままどっかに行っちゃった人たち(映画ではヘリコプターでジョージ・クルーニーとジェフ・ブリッジズが)は、当時のアメリカにはたくさんいたのでしょう。

シニカルな戦争コメディ。なのですが、その冷笑の先が何かというと、単純ではなく、なおかつ心優しく楽観的。気持ちよくこんがらがった印象を残してくれる映画でした。

なお、冒頭に示されるように、実話が元。現実にこんなもの(超能力部隊)があったという、それこそがなによりのコメディ。


余談ですが、ボストンを「クラシカル・ロック」と呼んでいた。聴かなかったバンドだけど、ラスト近くに流れる「More Than a Feeling」はさすがに知っている。

それにしても、ボストンのこのヒット曲が40年前、ニューエイジはもちろんそれよりももっと前。ずいぶんとたくさんの時間が過ぎ去ったものです。




2016/09/21

■某日日記:続ふわふわ


私たちは学ばない。シネコン駐車場で「『君の名は』渋滞」に遭ったことを忘れて、またもや。

『怒り』(22:55)に間に合わず、それではと、『君の名は』(23:05)を観る。

背景画が美しい。風景がテーマのひとつだから当然といえば当然なのですが。

恋愛に至る心理の過程がよくわかる。

プロット上の矛盾をいくつか感じますが、まあ、それは、この手の物語に付き物。おもしろく観ました(嫁はんも寝なかった。最初のほうがピンチだったらしいけれど)。

そんななか、たいへん残念なのが、音楽。

全体に音楽と場面の関係がベタ。それはいいとしても、垢抜けない歌が、何度も、それも重要な場面で流れるのは、かんべんしてくれ、という感じ。歌詞は(どんな内容であれ)台詞とぶつかるしね。使うとしてもエンドロールだけでいいでしょう。

それにしても篠さんの言うように(音楽のことも触れています)、ノスタルジーをくすぐる伝統的な要素が揃っている。ウケを狙って、きっちりウケた映画だなあ、と。終わったあとの客席の若者たちからは、「感動」が伝わってきました。それと、ふだん映画館に行かないような層まで動員しているからか、客席が食べ散らかしでいつになく汚かったのでした。

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小津夜景さんの《空気モノ3日連続》のあと、さらなる浮遊感。

≫ひこうきの泳ぐ室内
http://yakeiozu.blogspot.jp/2016/09/blog-post_68.html

記事で紹介された動画「dwelling」は恍惚。


間違って押されたシャッター。